伍子胥 part3

孫武去る

越の軍師・范蠡の奇策により敗北して、呉王・闔閭は死亡。子供である夫差が呉王として即位し、臥薪して復讐を誓った夫差ですが、この辺りで最強の軍師である孫武が引退しています。

夫差の才能を見切ったか、越の軍師・范蠡が強敵だと思って身を引いたのか、詳細は定かではないです。

実は越の軍師、范蠡は春秋最強クラスの軍師ですからね。

范蠡

 

とにかく孫武は呉を去ってしまいました。

だから伍子胥と伯ヒの二人で呉を支えて越を倒さなきゃならないのです。

夫差も父の仇を取ろうと、臥薪しながら復讐の時を待っていました。

 

嘗胆

しかし、これを聞いた越王の句践は、軍師范蠡の反対を押し切って、先制パンチをしかけてきます。

でも越は逆に呉のカウンターパンチを喰らって、越の首都近くの山の上まで追いつめられてしまいます。

 

范蠡は句践に「だから言ったでしょう」と呆れられます。

句践が「どうしたら良い?」と范蠡に尋ねると、范蠡は、「夫差に降伏しなさい、それでも許されないのならば、自分を捧げなさい」と進言します。

范蠡の進言を聞き、句践は、「越は呉の属国となり、私自身も呉王夫差様の奴隷となるので許してください」と和睦を乞いました。

 

夫差は、相手が超下手に出てきたのでちょっと満足して、許してやってもいいかな、と思い始めます

しかし伍子胥は頑なに和睦に反対します。「句践を生かしておいては呉の害になります!句践を殺して越を滅ぼすべきです!」と。

 

ここですったもんだしてる間に、越は伯ヒに多額の賄賂を渡します。「これはほんのお気持ちですが、どうか王をよろしくお願いします」

すると伯ヒは、「越王も、こう反省しているんだから、許してやってもいいじゃないですか」と、夫差を説得しました。

 

結局夫差は伯ヒの進言を聞き、越と和睦を結び、越王・句践を夫差の馬小屋の番人としました。

その後しばらくして句践は許され、越に戻ることが出来ました。

 

句践はこの屈辱を忘れないように、毎日苦い肝を嘗めて、この時の恥辱を忘れないようにしました。これが臥薪嘗胆の嘗胆です。

「臥薪」と「嘗胆」、呉王と越王の屈辱でセットになってるのですね。

 

美女、西施

越に帰った句践は猛烈な勢いで、呉にゴマをすります。

ある時、呉の宮殿の改築の際などには、高級な木材である黒檀をたくさん送ったり、美女の西施を送ったりしました。

 

夫差もこれを喜び、「このような立派な木材を貰ったからには、これに似合う豪華な宮殿をつくらねばならない」と言って、当初の予定より豪華な宮殿をつくりました。

夫差が何よりも喜んだ贈り物が、美女の西施です。

西施

 

有名な中国の美女ですね。彼女にはこんな逸話があります。

心臓の持病があり、たまに胸が痛くなって顔をしかめた西施。

美女である西施が顔をしかめるのが艶めかしくて、村の男たちの目は、みんな西施にくぎ付けになったようです。ギャップ萌えみたいなやつですね。

 

それを見た醜い村娘が思いつきました。「私も顔をしかめたらモテるんじゃね?」

その醜い村娘が顔をしかめると、元々醜かった顔がさらに醜くなり、周りから男が逃げ出したそうです。

このことから、物事の良し悪しも深く考えず、ただ単に人の猿真似をすることを、『顰(ひそみ)に倣(なら)う』と呼ぶようになりました。」

「顰む」で顔をしかめるっていう意味です。

 

それほど美しい西施ですので、夫差が骨抜きにされたのも無理ありませんね。

 

慢心する夫差

夫差は、越はもう呉に逆らわないだろうと思い、覇者になろうとして今度は内乱が起こっている斉を狙うようになります。

 

さてここで覇者についてサラッと解説しておきましょう。

この時代、色んな国の諸侯で会盟という集まりを行い、そこで話合いが行われて「覇者」となるのが王たちの夢でした。

そこで交わされた約束を守るため、覇者が牛の耳を斬って、その血を諸侯みんなですすって誓うことから、『牛耳る』という言葉も生まれています。」

そのため、覇者になるのは名誉であり、もちろん夫差も覇者に憧れました。

 

本当なら中原に打って出るには越を滅ぼした方が安全なのですが、夫差は越はもう属国だし、句践もあれだけごまをすってくるから大丈夫だと思ったのですね。

伍子胥は斉に出兵しようとする夫差を諫めます。

「斉は皮膚病で、越は内臓病です。斉は目に見えやすいですが、大したものではなく、越は今は表面上は従順ですが、呉を滅ぼす恐ろしい国なのです」と。

 

しかし夫差は伍子胥の反対を押し切って斉に出兵。そして勝利します。

これに夫差はドヤ顔。「越が危ないって言ってたけど、斉に出兵している間、何もしてこなかったよね。今どんな気持ち?」

 

この頃、越は宰相である伯ヒに賄賂を贈りまくって、盛んに斉への出兵を進言させます。

伯ヒの「中原に出て、覇者になりましょうぞ!」という進言に、夫差もノリノリ。

さらに伯ヒは「同病相憐れむ」の精神はどこへやら、「伍子胥が斉への出兵に反対していたのは、斉から賄賂を貰って、攻め込ませないようにしていたのではないですか?」と讒言します。

 

夫差は、伍子胥に戦勝を見せつけるため、斉の国へと使者として派遣します。

伍子胥は「こりゃもう呉もダメだな」と思い、ついて行っていた息子を斉の鮑氏にこう言って預けました。

「王は私の諫言を聞いて下さらない。じきに呉も滅びることになるだろう。お前まで呉と運命を共にする必要もあるまい。」

「しかし、私には呉に恩がある、見捨てることはできない。」

 

あれだけ父と兄の復讐にこだわったということは、義に篤いってことでもありますからね。自分の身が危なくなっても、伍子胥は恩ある呉を裏切れなかったのです。

しかし、伍子胥が呉に帰還すると、息子を斉に置いてきたことが問題となります。

 

伍子胥、呉に裏切られる

伯ヒが、「息子を斉に置いてきたのは、謀反心がある証拠です。伍子胥は斉の出兵に反対したのに成功した王を恨んでいるのです。それに斉からも賄賂を貰っているでしょう。ここで伍子胥を殺しておくべきです。」と夫差に讒言しました。

越から賄賂もらってたのは伯ヒなんですけどね。

 

夫差はこれに従い、呉を強国にした功労者である伍子胥に属鏤の剣を渡します。

その剣を使って、死ね。ということです。

 

伍子胥は、「佞臣を信用し、呉のためを本当に思う忠臣である私を殺そうとするのか。お前の父を覇者とし、お前を王に推薦したこの私を。呉に尽くした結果がこれか。」

私の墓に梓の木を植えよ、その木で夫差の棺桶をつくれ。そして私の目を抉り出し、越の方向の門に掲げよ、越が呉を攻め滅ぼす所を見られるようにな!」と言って自害しました。

 

伍子胥の最後の言葉を聞いた夫差は怒り、墓もつくらずに伍子胥の遺体を革袋にいれて川に流しました。

 

その後

越は絶対裏切らないと思っていた呉は、伍子胥の予想通り、越に裏切られて攻め込まれました。

その時は滅ぼされなかったのですが、そのまま戦況が不利となって、紀元前473年に、呉は越に滅ぼされました。

 

呉は降伏の使者を立てて、使者は裸になって夫差の助命を嘆願しました。

越王の句践も哀れに思い、島流しにして、その島の主にしてやろうかとも思いましたが、軍師・范蠡が猛烈に反対します。

 

范蠡は、「今あなたが生きて、こうして呉を滅ぼしかけているのは、昔夫差があなたを許したからです。今夫差を殺さないと、昔の貴方のように復讐しに来ますぞ」と諫めました。

夫差は結局、「このように年老いてしまってから、いまさら恥を晒してまで生きながらえてしまってもしょうがない。伍子胥の言う事を聞いておけばよかった。私は伍子胥に合わせる顔が無い。」と、自分の顔に布をかけて自害しました。

 

句践は呉に入り、夫差を手厚く葬り、悪臣の見本である伯ヒを処刑して晒し首にしました。

 

范蠡

この後、句践の軍師・范蠡は越の国を去ります。

「狡兎死して走狗烹らる(猟犬は用が済めば、煮て食われる)」からですね。范蠡はこの言葉を文種という越の臣に送りましたが、文種は越の国に留まったため、句践に自害させられました。

有能な軍師である范蠡は引き際も心得ていたのです。

この『狡兎死して走狗烹らる』という言葉は、項羽と劉邦の時代の将・韓信も引用したため、有名ですよね。

 

越を脱出した范蠡は、斉の国に入って、商売を行い、大富豪となりました。

これを聞いた斉は、范蠡を宰相に迎えたいと申し出てきました。

しかし范蠡は、「過ぎたる名誉は災いの元だ」と、持っている金を全て他人に分け与え、宋の国に入りました

 

宋の国でも范蠡は商売に成功し、『陶朱公』として大金持ちの代名詞となりました。

そして范蠡は子供に商売を譲って、悠々自適な老後を暮らしましたとさ。

 

 

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