血の輸出
スイスはヨーロッパの内陸にある国で、山が多く、耕作地も少ない上に、産業もそれほど発達していませんでした。
というわけで外貨を稼ぐために、他国に傭兵を派遣して、外貨を稼いでいたのですね。これは「血の輸出」とも呼ばれます。
ちなみに、アルプスの少女ハイジのおじいさんも元傭兵です。そういえばよく考えるとヤバそうな目つきしてましたね。
通常は農家をしながら、イザというときのために備えて、地元で民兵組織を組んで訓練を行い、他国から傭兵の要請がかかると、州政府がスイス傭兵を集めて他国に輸出していたのです。
これは国を挙げての一大産業でした。
ランツクネヒトなんかみたいなドイツの傭兵が、貴族が傭兵隊長になって傭兵団を企業みたいに経営するのとは違うところですね。
民間企業(ランツクネヒト)か公営企業(スイス)か、みたいな感じだったのです。企業経営的には民間の企業の方が、競争力強そうですけどね。
傭兵が産業となっているため、スイスの若者は血気盛んで勇敢な者が多かったそうです。ていうか戦法的に血気盛んじゃないとやってられない戦い方をしていました。
こんな風にスイスの傭兵は強く、また耕作地も少ないため、スイスの土地に攻め込んでもうま味も少なく、誰もスイスに手を出さなくなりました。
スイス最強伝説の始まりです。
スイス傭兵の戦い方
スイス傭兵の戦い方ですが、主に歩兵で構成されており、6mもあるパイクを装備して密集陣形を組みます。
歩兵の密集陣形で長槍?それってファランクスじゃん、と思う人も居るかもしれませんが、実際、古代で使用されていたギリシアのファランクスと同じようなものでした。ただし、ファランクスとは違う点があります。
古代ギリシアでは、ファランクスを構成する歩兵は重装歩兵で、鎧や兜をつけていました。ギリシア同士の戦いだったら、相手も長槍持って同じような隊形組むので痛いですからね。
しかし、パイクを装備したスイス傭兵は、鎧兜を装備していませんでした。
つまり、攻撃力特化型のファランクスだったのです。
こりゃ兵士が血気盛んじゃないと無理ですよね、鎧兜無しでファランクス組むとか怖すぎますし。
でもなんで鎧兜つけてなかったのでしょう?
予算的な問題もあるでしょうね。傭兵にいちいち鎧兜とか渡してられないでしょうし。
そもそも国を挙げての外貨獲得の手段だったので、傭兵みんなにフルプレートアーマー配る余裕なんてないですからね。赤字になるので。
しかし、鎧兜を装備しなかったことによって、重装歩兵のファランクスよりも、機動力があります。鎧兜って超重いですからね。
対歩兵戦では、槍を相手の方に向けて、チクチク攻撃しました。
ファランクスが槍向けた方向に限って言えば、銃火器が発達しない限り白兵戦は無敵でした。
スイス傭兵の活躍した時代にも火縄銃のように、銃火器は存在しました。
しかし、まだ装填速度が遅く、一度撃ったら次の発射までに時間がかかったため、パイク兵の機動力を生かしてサッと距離を詰めて火縄銃隊をブスっと殺します。
スイス傭兵の密集陣形の前の方の人は、撃たれて死にますが、最終的にスイス傭兵軍団が勝てば良かろうの精神で戦っていました。
こういう戦術を取っていたため、鎧兜などは機動力を落とすから、逆に邪魔ですよね。ノロノロしてたら次の射撃が来ますし。
「殺られる前に、殺る」のがパイク兵の戦闘だったのです。
また、スイス傭兵のパイクの密集戦術は、当時最強兵科とされていた、重騎兵にとても有利でした。
特に、モルガルテンの戦いで、エリートの騎士である重装騎兵が、パイク兵ごときにやられてしまって激震が走ったようですね。
重騎兵の育成ってめちゃくちゃ金かかりますし、それが長槍持った即席の傭兵に負けるようでは、割に合いません。
騎兵が来たら、パイクを槍衾のように並べて迎撃し、騎士を引っ掛けて馬から落とした所で、ブスーって刺して殺したみたいです。
というわけで、パイクを装備したスイス傭兵はヨーロッパ最強。そんな最強スイス傭兵をぜひとも雇いたいと、色んな国から、べらぼうに高い金が積まれてガッポガッポ儲かりました。
軍隊はほとんど傭兵だった
この時代、基本的に国は常備軍はほとんど持っておらず、戦争は傭兵に頼っていました。
常備軍揃えるのは、とても金がかかりますからね。戦争が無い時も給料を払わなくてはいけません。傭兵なら戦争の時だけ雇えば良いので、その時に高い金を払うとしても、長期的に見たらコストは安いです。
自前の軍を持ったら、毎月賃金を払わなきゃいけないですし。
そもそもまだ「国」という概念自体があやふやでした。まだその土地の領主自身が「国」であり、国民という概念自体がまだ発達してないですからね。今では主権は国民全員にありますが、この頃の主権は王や皇帝などの君主しか持ってませんでした。
フランス革命を経て、主権が国民に渡るに至って、「国家」という概念が意識されていき、ナショナリズムが生まれ、自分たちの「国」を守るため、徴兵して薄給でも命を懸けて兵士が戦ってくれるようになったのですね。
自分たちの国を守るためだから士気も高いです。でも、自分の国を守るために戦うという点で見ると、古代ギリシアやローマの市民とも似てるますね。
守って価値があるから、兵士のやる気がでるのですね。守っても領主しか得しないなら、傭兵のように金のためにしか動きません。
その観点から見ると、共和制と国民軍の親和性はとても高いです。
フランス革命で、ヤル気のある国民軍を率いたのが天才のナポレオンだったため、ボコボコにされた各国もそれまでの制度を見直さざるを得なくなり、そこから従来までの流れから徴兵制ができて国民軍の流れに移り、今でも国民を兵士にする国民軍が一般的になります。
スイス傭兵最強伝説
さて、スイス傭兵は15世紀ごろ、ブルゴーニュ戦争にて当時最強と誉れ高いシャルル突進公率いるブルゴーニュ軍を撃破。これによって、スイス傭兵の名はヨーロッパに響き、誰もがスイスのパイク兵を欲しがるようになります。
基本的に最初の方は、スイス傭兵を雇ったら、雇い主のスイス傭兵の敵に州政府がスイス傭兵を送らないようにしていたので、スイス傭兵を先に雇ったもの勝ちでした。
敵も味方もスイス傭兵雇ったら、スイス人同士で戦うことになりますからね。
まあでも、これもそのうち金に目がくらんだ州政府によって破られて、スイス傭兵同士で戦うことになります。
同じ戦場で、兄弟が敵と味方に別れて戦った例とかもあるみたいです。
とにかくスイス傭兵を雇えば勝ちです。ですので、スイス傭兵を雇うために、みんな必死に金を出しました。
ランツクネヒトの登場
でも考えてみてください、スイス傭兵はパイクを持って密集陣形組んで突撃してるだけです。根性さえあれば、誰でもできますよね。
大金が稼げるので、食い詰めた者にとっては、一攫千金のチャンスです。
ということで、部屋住まいをさせられている貴族の三男坊とかが、傭兵隊長と呼ばれる、傭兵の元締めをやり始めま、各地で傭兵を集めて、傭兵団を構成します。こういったドイツの傭兵は、ランツクネヒトと呼ばれました。
貴族だったとしても、一生部屋住まいするぐらいなら、傭兵隊長でもやってやるか、ってなる人もいますからね。
このランツクネヒト、州政府が管理しているスイス傭兵とは違って、まさしく純粋に金のためだけに戦争する、傭兵たちでした。
内部統制も自治組織などがしっかりとしており、現代の営利企業のようなものです。
まあ企業も営利で金儲けを追求してるようなものだし、効率を求めたら似たような組織になるのかもしれないね。
ランツクネヒトの戦い方ですが、ほぼスイス傭兵のパクリです。
ていうか金に生き死にかかってんだから、強い戦い方パクりますよね。参入障壁とか無いですし。命知らずを雇って槍持って戦わせるのに著作権とかないですから。
スイス傭兵 vs ランツクネヒト
このランツクネヒトは、スイス傭兵の強力なライバルとなり、イタリア大戦争で両者はたびたび激突します。
スイス傭兵も相手がスイス人じゃなかったら、思いっきり殺れますしね。
パイク兵同士の戦いは、それはもう悲惨なものでした。
密集陣形を取り、肩のあたりまでパイクを持ち上げて、相手に向かって掲げます。もちろん相手の方もそうします。
そして、そのまま前に進んで、ぶつかるだけです。
先に戦列を崩した方が負けです。そのころにはどちらも血まみれのハリネズミです。
その戦争の様子は、地獄そのものでした。まさしく「血の輸出」ですね。
古代のファランクスみたいに、鎧兜つけてなかったわけですし。(ランツクネヒトの上のランクの人は鎧兜をつけていた人も居た)
ランツクネヒトと言えば、ローマ劫掠が有名です。
ローマ教皇のクレメンス7世がフランスと手を組んだことに怒った、神聖ローマ帝国皇帝のカール5世が、ランツクネヒトを雇ってローマを攻撃しました。
戦いに勝ったドイツ兵は、ローマに入って略奪、強姦、破壊の限りを尽くします。
この頃の戦争では、大抵勝った方が略奪するのは普通でしたが、略奪のレベルが違いました。ローマ劫掠によって多くの文化人がローマから逃れたり殺されたりして、イタリアでのルネサンスが終わったのですから。
この無茶苦茶な略奪によって、ランツクネヒトの悪名はヨーロッパ中に響き渡りました。
まあ、この時、ランツクネヒトの給料未払いとかがあったせいもあるんですけどね。
傭兵の給料未払いは意外と結構多かったみたいです。そのせいで傭兵が飢えて略奪しまくる原因になったりするんですが。傭兵も略奪するために戦争に参加したりするので、どっちもどっちですsね。
傭兵を雇う王や皇帝たちは、雇わなきゃ戦争に負けると分かってるんなら、金無くてもある振りして傭兵雇うので、金を得られなかった飢えた傭兵が略奪して命の賭け賃を回収していたのです。
パイク兵の攻略法が発見される
さて、スイス兵の話ですが、そんな悪名高いランツクネヒトに対して、エリートの傭兵という名声を保ちました。
しかし、そんな最強のスイス傭兵も、攻略法を見つけられてしまいます。戦争の常ですね。
暗雲が立ち込めてきたのは、マリリャーノの戦いぐらいからです。
前述の通り、スイス傭兵はパイクを持って密集陣形を取っているのですが、今の感覚からして、密集陣形って・・・恐いですよね。
密集状態で砲撃とかされたら、ひとたまりもありません。
このころは砲撃も一回撃ったら、次に撃つまでにかなり時間がかかるので、一発撃たれても、「殺られる前に、殺る」戦法でその間に近づいて、砲兵にグサー!でなんとかなってました。
しかし、次弾装填の時間を稼がれたら、そんなわけにはいきません。
マリリャーノの戦いでは、スイス傭兵にランツクネヒトを当たらせておいて時間を稼ぎ、さらに騎兵でたまに襲わせたりして、時間を稼いで、そのスキに大砲をバンバン撃ち込まれました。
こうして速攻戦法を潰されたのです。
スイス傭兵は密集してるので、そうやって足止めされてバンバン砲撃撃ち込まれたら、ひとたまりもありません。
ここからスイス傭兵最強伝説にヒビが入ります。各国はこれを参考にして、スイス傭兵の攻略法を模索しはじめました。
しかし、過去の成功体験から、スイス傭兵はパイク兵に固執しました。いや、固執せざるを得なかったのかもしれません。
パイク持たせて突撃させるだけだったら、技術もお金も必要無いですからね。他国に抜きんでて新技術開発する程には産業は発達していませんでした。
スイス傭兵の軍事的な優位性が完全に崩れたのは、ビコッカの戦いです。
ビコッカの戦いでは、敵は陣地を構築しており、スイスパイク兵はその陣地を攻略しようと手間取っている間に、砲撃やら火縄銃やらでバッタバッタと倒されていきました。
今までは銃火器相手でも、次弾装填する前に殺ればよかったのが、陣地とか構築されて時間を稼がれたのです。
時間さえ稼いでロングレンジから倒せば、精強なスイス傭兵でも倒せると、攻略法を見つけられてしまったのですね。
さらにこの後、銃火器の技術的発達によって、装填速度が早まると、さらにスイス傭兵の優位性が薄れます。特にパイク兵は防御力が低かったですから、銃火器の発達によって割を食うことになりました。
この攻略法の発見によって、陣地などを築いたり、捨て駒を当たらせたりした上で時間を稼ぎ、火縄銃兵や砲兵で当たれば倒せないこともないレベルにまで持ってこられます。
傭兵のエリート
しかし、それでもスイス傭兵は、傭兵としてのエリートブランドを保ちました。
ていうか、フランス革命前は常備軍がほとんど無いですから、「よし戦争するか!歩兵雇うか!歩兵の傭兵と言えばスイス傭兵だな!」みたいな感じになります。
特にフランスはお得意様で、そのスイス傭兵の忠誠心を買われて、近衛兵になってたりもします。
ぶっちゃけ権謀術数渦巻くヴェルサイユだと、自国の兵士よりも金さえ払えば忠誠を保つ外部のスイス傭兵の方が信頼できたりしました。
スイス傭兵の職務の熱心さは、フランス革命期にも現れています。
ヴェルサイユ行進の時には、マリー・アントワネットを守るために、マリー・アントワネットの部屋を守っていたスイス近衛兵が民衆に殺害されましたし、8月10日事件の時には、テュイルリー宮殿に攻め込んできた暴徒と戦い、多数のスイス衛兵が命を落としています。
ルイ16世を命を賭して守ったスイス傭兵のためにつくられた、スイスのルツェルンにあるライオン記念碑は、今では観光名所になっていますね。
このライオンが守っている盾がフランス国王家族を指し、瀕死のライオンがスイス傭兵をあらわしています。
でも実は、ルイ16世家族は武力衝突前に、議会の方に逃げてたんですけどね。
傭兵産業の終焉
そんな頼もしいスイス傭兵ですが、時代は流れ、1874年には傭兵の輸出を禁じるようになり、1927年には国民に外国軍への参加を禁じて、スイス傭兵の歴史は幕を閉じます。
この頃にはもう傭兵以外の産業ができていました。有名なのでは金融業とか時計とかですね。
時計産業の話で面白いのは、フランスで迫害されたユグノー教徒が、スイスのジュネーヴに逃げて来て、時計産業がスイスで栄えたことです。
ユグノーは商工業に携わる知識層が多かったですから、弾圧さえしなかったらフランスの産業は今と大分変っていたかもしれませんね。
もしかしたらスイスウォッチは、フランスウォッチだったかもしれないのです。
さて、傭兵の輸出は禁じられていますが、特例としてバチカン市国では、今なおスイス傭兵がハルバードを持ってローマ教皇を護衛しています。
500年も雇ってくれている御贔屓筋ですから。伝統の一部みたいなものですし、歴史もありますし、今では傭兵というかボディーガードのようなものですし、これはずっと続くことでしょう。
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