囚われの身であることを悟る国王ルイ16世
1791年4月18日、国王の唯一の理解者であったミラボーの死から16日後、国王一家がキリスト教の復活祭のミサを行おうと、馬車に乗ってテュイルリー宮殿から出発しようとしたところ、国王一家がパリから逃げ出すと思った民衆が門の前に集まって来て、国王の外出を妨害しました。
ルイ16世の叔母で、マリー・アントワネットにデュ・バリー夫人の悪口を吹き込んだ、あのアデライード王女とヴィクトワール王女が、つい先日亡命しており、民衆は殺気立っていたのです。
この二人は逃亡の際に捕まっていましたが、最終的に亡命することが許されました。
しかし、もし「国王が逃亡したのなら、退位したものとみなす」と警告されています。
上記のことが起こった直後の出来事だったため、一触即発のムードとなります。
国王は結局復活祭には行くことを諦めましたが、これで自分が国王としてフランスに君臨しているのではなく、囚人として民衆に囚われの身であることを強く自覚します。
パリ脱出計画
そこでかねてより王妃が提案していた、テュイルリー宮殿からの脱出計画に同意しました。
革命派がウヨウヨいるパリから逃げ出し、フランスとオーストリアの国境にある要塞に逃げ込み、そこで妻の実家であるオーストリア軍を呼び込んだり、亡命したフランス貴族たちの軍を引き連れ、武力をもって革命を鎮圧しようとしました。
こうして王妃マリー・アントワネットが主導して逃亡計画を練ることとなりました、が、どこか抜けているマリー・アントワネットが計画の指揮を執るというだけで不安いっぱいです。
実際の逃亡の手はずは、マリー・アントワネットの愛人と噂されていた、スウェーデン貴族のフェルセンが整えましたが、国王夫妻のワガママに振り回されて計画は遅々として進みませんでした。
遅々として進まない脱出計画
ルイ16世「ルートはフランス国内で」
というのも、ルイ16世は「逃亡ルートは全てフランス国内を通り、外国に出るのはダメ」と言ったからです。フランスの国王たるもの、フランスから逃げ出して他国に救いを求めるなど、ありえないということですね。これはまだ理解できます。
マリー・アントワネット「逃げる時は、家族一緒に」
次に、マリー・アントワネットは「逃げる時は、家族一緒じゃないとヤダ」と言い出します。
元々の計画では小回りのきいて目立たない小さい馬車を2つ用意して、国王家族を分けて脱出しようとしていました。しかし家族全員一緒に馬車に乗らないとイヤ、と言い出したのですね。
これはもしかしたら王妃は、「国王の馬車が捕まっても、パリに戻されるだけで済むだろうけれど、フランス国民に超恨まれている自分が発見された時に国王と一緒に居ないと、殺されてしまうだろう」と思ったのかもしれません。現にヴェルサイユ行進の時に暗殺されかかってますしね、主婦に。
マリー・アントワネット「快適な馬車で逃げたい」
まあここまでは良いでしょう。理由を聞けば納得できます。
しかしマリー・アントワネットは、今度は「ボロい馬車ではなく、8頭立ての最新式の乗り心地の良いベルリン馬車じゃないとダメ」とか言い出したのです。逃げる気あるのか?
こんな風に、国王夫妻にあれやこれや注文をつけられ、優柔不断な国王から「やっぱやめようかなあ・・・」とか色々横やりを入れられながらも、愛するマリー・アントワネットのため、愛人と噂されるフェルセンはなんとか国王一家の脱出計画を整えました。
監禁されているテュイルリー宮殿からの脱出決行は、1791年6月19日と決まります。この時点でも国王夫妻の多すぎる注文によって、絶好の逃げ出せる機会を多く失っていました。
マリー・アントワネット「召使いが怪しい」
しかし、実際の決行は1日ずれることとなりました。
土壇場になってマリー・アントワネットが、「召使いが怪しい、非番になるまで1日計画をずらすわ!」と言い出したからです。
ついに脱出計画決行
というわけで、1日ずれた6月20日に脱出計画は決行。
計画どおり、国王家族は少しずつ分かれてテュイルリー宮殿から抜け出し、途中で合流してマリー・アントワネットご自慢の最新式8頭立てベルリン馬車に乗り込みました。
こうしてパリを脱出して目的地に向かうわけですが、革命の本拠を抜け出した国王一家は、どこかピクニックのような和やかな雰囲気でした。
それもそのはず、馬車の中にはワインセラーや暖炉などもあり、ゆっくりとしたエレガントな空間が広がっていたからです。なるほど、こんなに重い荷物を運ばなければならないから、馬も目立つ8頭立てにしなければならなかったのか!
でも重い荷物を積んでいたため、馬車はノロノロと走り、一刻一秒を争う逃亡で大きくハンディキャップを持ってしまいます。
さらに8頭立ての馬車、最新式のベルリン馬車、家族総出で大きな馬車には6人乗っています、目立たないわけがない。むしろ自分から「私たち逃亡中です」と言っているようなものでした。
手配していた護衛が居ない
さらに、マリー・アントワネットが土壇場で、計画を1日ずらしたのも災いします。
国王一家の逃亡ルートには、あちこちに護衛の兵士が配備されているはずでした。
しかし計画が1日ずれてしまったため、何もない所に突っ立っていた兵士たちは近くの住人から怪しまれたり、末端の兵士たちには機密漏洩を防ぐために計画を知らされておらず、1日待ってても何も起こらずに待ち疲れたりしてしまったため、国王一家が逃亡した頃には既に兵士たちは解散してしまっていました。
パリで気づかれる
その頃パリでは、国王一家の逃亡が判明し、すぐに全方向に向けて議員が派遣されました。もし国王が逃亡に成功してしまったら、革命を推進していた議員たちは縛り首だから必死です。
議員たちは忽然と消えた国王一家の足取りを追わなければなりませんでしたが、彼らの逃亡は前述の通り超目立っていたため、すぐにウワサを辿って行方を追跡することが出来ました。
宿駅長ドルーエ
国王一家の方と言えば、ところどころの宿場町に停留しては、優雅に食事などをしていったため、こちらでもめちゃくちゃ目立ちましたが、「触らぬ神に祟りなし」と、事なかれ主義で町を通されていました。
しかし、ここで空気を読まない宿駅長のドルーエという人物が登場します。
彼は、この目立っていた国王一家を見て「怪しい」と心に留め、さらにウワサというのは飛散するのが早いもので、もうこの町でも国王逃亡のウワサが広がっていました。
ドルーエはこのウワサを聞いて、「もしや?」と思い、急いで紙幣を借りて見てみると、あらビックリ。そこにはさっき見た一家の一員と瓜二つの国王の肖像画が描いてあったのです。そりゃ本人だから当然です。
この瞬間、宿駅長のドルーエは、あの怪しすぎる一家がパリから逃げている国王一家だと確信します。
国王一家を乗せた馬車は、すでに町を出ていましたが、あのデカくてノロい馬車ならいくらでも追いつけます。
というわけでドルーエは国王一家の馬車を先回りしてヴァレンヌの町に到着し、警鐘を鳴らしてバリケードをつくり道を封鎖。今まで通った町の町長と同じように、事なかれ主義だったヴァレンヌの町長を脅迫して国王の通過を阻止させました。
逮捕
こうして国王一家はヴァレンヌの町に足止めされることとなり、そこにウワサを辿って駆け付けてきた派遣議員によって逮捕。パリへと連れ戻されることとなりました。
ヴァレンヌから目的地である国境の要塞までは、あと一息の距離であったため、もし目立ない馬車を使っていたり、重い荷物を積んでいなかったり、色んな要素のどれか1つでも違っていれば、国王は脱出に成功し、歴史は変わっていたかもしれません。
地に墜ちた国王の威信
しかし国王はパリ脱出から24時間以内に逮捕されてしまい、民衆からはもはや「国王」ではなく「祖国を見捨てた裏切り者」として、民衆の罵声を浴びながら、晒し者のようにゆっくりと時間をかけて、革命の本拠パリへと馬車で連れ戻されて行ってしまうこととなるのでした。
今までは、外国から嫁に来た「オーストリア女」である王妃マリー・アントワネットは超嫌われていても、その夫であるフランス国王ルイ16世は一応は敬意を表されていました。(少なくとも体面上は)
しかしパリからの逃亡に失敗した情けない王に民衆は失望し、これまでは立憲君主制の成立を目標としていたフランス革命は、「王すら要らない」と共和政を目標として、ギロチンへの階段を進むこととなったのです。