出生
マルクス・ユニウス・ブルトゥス(ブルータス)は紀元前85年、共和制ローマ末期で最も名門とされたユニウス氏族に生まれました。
祖先はエトルリアの王はローマから追い出してローマを共和制にし、初代執政官(コンスル)となった伝説的なルキウス・ユニウス・ブルトゥス。
ブルトゥスはこの祖先を誇りに思っていましたが、これが後に彼をカエサル(シーザー)から離反させ、自身を破滅へと追い込む原因ともなってしまいます。
父親は護民官でしたが、反乱を起こしてグナエウス・ポンペイウスに殺されています。このポンペイウスは、後にカエサルとクラッススで三頭政治を行うことで有名な人ですね。
母親のセルウィリアですが、彼女はカエサルの愛人としても有名でした。
だからブルトゥスの本当の父親は、実はカエサルだったという噂もあります。でももしカエサルの子供だとしたら、カエサルが15歳の時の子供なのですが・・・まああの女たらしのカエサルならば、あり得ないことも無いでしょう。
政治キャリア
ブルトゥスの政治キャリアは、キプロス島の知事をしていた叔父の小カトの補佐官からスタートしました。
この叔父の小カトは、ブルトゥスに教育を施した人物でもあり、ブルトゥスは彼に影響を受けて骨の髄まで共和主義思想に染まりました。
ちなみにここで彼は年利48パーセントという、暴利をむさぼる高利貸しをして大儲けします。これは古代ローマでも高利で、友人のキケロに批判されてます。
ローマに戻ったブルトゥスは執政官の娘のクラウディアと結婚。
この時、ローマの政治はカエサル、ポンペイウス、クラッススの三人による三頭政治に引っ張られていましたが、それと対決姿勢を構えていた元老院主導での政治を目指す閥族派の元老院議員となりました。
三頭政治を行っていた1人であるクラッススは東方に遠征に行くも、失敗して死亡。
三頭政治の一角が崩れたことを見計らった元老院派は、カエサルがガリア遠征をしてローマを空けている隙にポンペイウスを元老院派に取り込み、三頭政治体制を崩しました。
こうして紀元前49年、カエサル vs ポンペイウス率いる元老院派によるローマ内戦が勃発します。
ローマ内戦
ブルトゥスにとってはポンペイウスは父親を殺した親の仇でしたが、彼は骨の髄まで共和主義者だったので、元老院派のポンペイウスについて行きました。
しかしファルサルスの戦いで、カエサルと元老院派の決戦が行われた時、カエサルは部下たちに「敵方についたブルトゥスを見つけても、絶対に危害を加えないように」と部下たちに厳命していました。
これはブルトゥスの母親であるセルウィリアがカエサルの愛人だったこともありますし、もしかしたら自分の子供かもしれないブルトゥスを守りたかったのもあるかもしれません。
このファルサルスの戦いはカエサルの勝利に終わりました。
負けた側についていたブルトゥスがカエサルに許しを請うと、カエサルは寛大にもブルトゥスを許し、側近の一人に加えました。
まあカエサルはブルトゥスだけではなく、基本的に敵方に回った元老院議員でも、寛大に許してたりするんですけどね。
叔父の小カトなんかは、カエサルに恭順なんてしたりせずに徹底抗戦した後、自刃して、その後自分で内臓を抉り出して自害しました。
カエサルの側近として
さて、カエサルに許されて側近となったブルトゥスは、紀元前46年にガリア・キサルピナの総督、紀元前44年には法務官(プラエトル)に任命されたりして、順調に公職を歴任してたりします。
この頃に妻と離縁して、新しく小カトの娘ポルキア・カトニスと結婚しました。
しかし昔の妻との離婚は正当な理由無く行われたため、小さなスキャンダルともなりましたし、「あのカエサルに徹底抗戦した、小カトの娘とくっつくなんてとんでもない!」とカエサルの愛人をやってた母セルウィリアによって猛反対をされましたが、強行して結婚します。
カエサル暗殺計画
内戦に勝ったカエサルは終身独裁官に就任した後、数々の改革を行っていきました。もはや彼に敵う者は誰もいません。
元老院議員たちは、カエサルが独裁政治を行い、自分たちの指導力が無くなっていくのに恐れを抱きました。
だから、「カエサルは王となろうとしているのだ」と言って反発しますが、正攻法で飛ぶ鳥を落とす勢いのカエサルに勝てるわけがありません。
というわけでカエサルを暗殺する計画が、一部の元老院議員たちの間で練られるようになりました。
彼らは自分らを専制からの「解放者」と呼び、暗殺計画の首謀者であるガイウス・カッシウス・ロンギヌスは、ブルトゥスを錦の御旗として引き込んでリーダーに据えました。
ブルトゥスの祖先は、専制者である王を追放したルキウス・ユニウス・ブルトゥスですから、旗頭にするにはちょうど良かったのです。
ブルトゥスとしても祖先であり、伝説のルキウス・ユニウス・ブルトゥスに自分を重ねて燃えたでしょう。
さらに小カトの娘でもあり、妻のポルキアも女性唯一で計画に加わっています。
ブルトゥスが暗殺計画に加わったのは、この妻の影響も大きかったでしょう。
カエサル「ブルータス、お前もか」
紀元前44年3月15日、元老院の会議に出席しに来たカエサルは、待ち構えていた元老院議員の暗殺者たちによってメッタ刺しにされて暗殺されます。
死の直前にカエサルが言ったとされる、「ブルータス、お前もか」という言葉はとても有名ですが(本当に言ったかどうかは不明)、暗殺者の中には本項で紹介しているマルクス・ユニウス・ブルトゥスとデキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌスの二人のブルトゥスが居ました。
デキムス・ブルトゥスの方は、後で公開されることとなるカエサルの遺言書で、カエサルの第2相続人とも指名されているように、カエサルから信頼されていた人物です。
どっちのブルトゥスに向けて言ったのか分かりませんが、本項のブルトゥスに言ったのだとしたら、「本当の子供かもしれず、自分から離反したのを許して厚遇したのにも関わらず裏切ったのか」と言う意味合いになってきますし、デキムス・ブルトゥスの方に言ったのだとしたら、「遺言で相続人にも指名するほど信頼していたのに、お前まで裏切ったのか」ということになりますね。
どちらに言ったのだとしても悲しい事です。
ローマ市民からの冷ややかな反応
さて、カエサルを暗殺し終えた暗殺者たちですが、彼ら自身は「専制者(カエサル)からローマの共和制を救った」と考えていました。つまり自分たちは英雄なのだろうと。
だから民衆からも歓呼の声で迎えられると信じていました。
しかしローマ市民たちの反応は冷ややかなものでした。
そりゃカエサル殺しちゃったら、せっかく安定しかけてたのに、また内戦起こるだろうから当然ですね。
それにカエサルはガリアを征服してたり、私腹を肥やしたりすることなく、市民たちに権益を大盤振る舞いで配ったりしていた英雄だったのです。
しかもカエサルは元老院議員たちを信用して、本来つけるはずの護衛をつけずに元老院会議に出席していたのです。それを元老院議員自身が、卑怯にも暗殺などという不意打ちでカエサルを屠ったのですから歓呼などされるわけがありません。
というわけでカエサルの支持者たちは怒ります。
ローマ市民たちから受け入れられると思っていた暗殺者たちは、予想とは違い民衆から反感を買ってしまい自分の身が危ないと感じて、首都ローマから逃げることを余儀なくされました。ブルトゥスもこの時に一緒に逃げ出します。
カエサルの後継者たち(オクタウィアヌスとアントニウス)
紀元前43年、カエサルの遺言で後継者に指名されて執政官(コンスル)となっていたオクタウィアヌスは、カエサルの暗殺に加わった者たちを殺人犯として宣言、国家の敵認定しました。
これに暗殺者側は反抗、再びローマで内戦が始まります。
しかし元カエサル派閥の側も一枚岩ではありませんでした。
カエサルは若いオクタウィアヌスを後継者として指名していましたが、彼は当時無名で、カエサルの腹心であったアントニウスが遺言に反発してカエサルの地盤を狙っていたからです。
だからオクタウィアヌスとアントニウスは、どちらがカエサルの後継者になるかで内輪もめしていたのです。
でも東方に逃げて行った暗殺者たちがこれを聞いて、「敵が仲間割れしている今がチャンス!」とばかりに金をかき集めて軍を整え、ローマに向けて進軍してきます。
しかし敵が現れると結束するもので、オクタウィアヌスとアントニウスは、これを撃退するためにいったん内輪もめをやめて手を結びます。
フィリッピの戦い
こうしてカエサルの後継者たちである、第2回三頭政治のオクタウィアヌスとアントニウスの連合軍
vs
ブルトゥスとカッシウスの共和主義者の軍
の決戦が紀元前42年10月に行われました。これがフィリッピの戦いです。
この戦いは、カエサルの後継者たちの勝利に終わります。
同士であるカッシウスは自害し、ブルトゥスは近くの丘に逃げ込みましたが、捕虜にされることを恐れてブルトゥスも自害しました。
ブルトゥスの遺体をみつけたアントニウスは、その身体に紫色のマントを掛けたのですが、紫色のマントは染料が高く高価なため、そのマントは盗まれてしまいます。(あとでこれを知ったアントニウスは、この泥棒を処刑した)
そしてブルトゥスの遺体を火葬したアントウニウスは、ブルトゥスの母であるセルウィリアに遺灰を送りました。
ブルトゥスの妻ポルキアはカエサルの暗殺者の実行部隊にも関わらず、三頭政治側からローマに残ることを許されていましたが、夫ブルトゥスの死を知った妻は自ら命を絶ちました。
息子とは違い一貫してカエサルの味方であり、カエサルの愛人であったブルトゥスの母セルウィリアは、カエサルから贈られた邸宅で静かに余生を暮らしましたとさ。