誕生
ルキウス・セルギウス・カティリナは紀元前108年、ローマでも名門のパトリキ(貴族)の家門に生まれました。
しかしカティリナが生まれた頃には、家は大分没落しており、金銭的にも社会的にも厳しい状況で育ちます。
そのため、カティリナは「いつかビッグになってやるぞ!」と野心を持って育ちました。
カティリナはグナエウス・ポンペイウス・ストラボの下、17歳で同盟市戦争に参加。ここで後に三頭政治の一角となるポンペイウスや、政敵となるキケロと共に戦っています。
世渡り上手
ポプラレス(民衆派)のマリウスが政権を握っていた時、カティリナはマリウスの姪と結婚しましたが、政治的に重要なポジションには居ませんでした。
しかしオプティマテス(閥族派)のスッラが民衆派を倒して権力を握った時、カティリナは鞍替えしてスッラを支持し、スッラによる大粛清を手先となって率先して行います。
そしてマリウスの姪であった妻と子供を殺し、紀元前71年には執政官(コンスル)の娘と再婚しました。
この辺りでウェスタの巫女という、ローマでは絶対神聖不可侵で、手を出したら死刑になる女性との姦通のカドで告発もされましたが、裁判を経て無罪になってたりもします。
順調に出世
紀元前68年には法務官(プラエトル)を務め、その後は前法務官(プロプラエトル)としてアフリカの属州に赴き、属州の総督も務めるなど順調に出世していきます。
属州総督を終えたカティリナは、ローマ本国に戻って、次は共和制ローマの元首である執政官(コンスル)の選挙に出馬しようとしました。
しかし総督をしていたアフリカの使節に汚職を告発され、執政官候補となることが認められなかったのです。
これは裁判沙汰にもなりましたが、判事を賄賂を渡して買収し、無罪判決を勝ち取ります。
絶対に執政官になりたいカティリナ
選挙に何度も落選
その後も執政官(コンスル)になることを諦められず、紀元前64、63年と執政官の選挙へ出馬。今度は候補となることが認められましたが、どちらも落選してしまいます。
ここでカティリナの野心の前に立ちはだかったのが、成り上がり者の新参貴族(ノウス・ホモ)であるキケロでした。
カティリナは自身の子分たちと共に、「執政官となったら、こんな政治をする」ということをヒッソリと話し合っていました。
内容は借金の棒引きや、土地の再分配といったような、貧民からは熱狂的に支持されるけれども、貴族からしてみれば絶対に認められないような大胆な経済政策。だからこんな内容を、執政官に選ばれる前に漏らすわけにはいきません。
政敵キケロのネガティブキャンペーン
しかしある時、子分の1人が会議の内容を愛人の女に漏らしてしまいます。この愛人の女は、カティリナの政敵であるキケロにその情報を、金と引き換えに売ってしまいました。
キケロはこの情報を暴露、貴族ばかりで構成されていた元老院からしてみれば、こんな自分たちの既得権益を破壊するような政策を推し進めるカティリナを支持することは到底できません。
また、スッラの大粛清時代に義理の兄弟を殺したという嫌疑もかけられました。
こうした諸々の事情により、執政官になるための選挙は惨敗。今まで見くびっていた、成り上がり者で政敵のキケロが執政官となります。
この執政官での選挙戦により、カティリナは莫大な借金を抱えてしまいました。
それに、上記に挙げられたようなキケロのネガティブキャンペーンのせいで、カティリナの政治的な基盤が全て吹き飛んでしまいます。
カティリナの陰謀
こうして、にっちもさっちも行かなくなったカティリナ。そこでこんな噂が流れてくるようになります。
「カティリナはクーデターを起こそうとしている」
実はカティリナの陰謀は前にも取りざたされていましたが、これは多分冤罪でした。
だから「今回もどうせデマだろ」、と大体の人が考えていたのですが、キケロは自身のスパイ網を使ってこの陰謀を察知していました。
でも確実な証拠は何もなく、それゆえに元老院は手を打てませんでした。
キケロによるカティリナ弾劾演説
そこで執政官(コンスル)であるキケロは元老院を招集、この陰謀の調査を開始します。
しかしそこでとんでもない事態が起こりました。
なんとクーデター計画の諜報人であるとされるカティリナ(元老院議員だった)が、元老院に登場したのです!
しかしカティリナが座った席の周りの元老院議員は、そそくさと席を立ちあがってカティリナから離れました。イジメかな?
カティリナは、「そこまで疑うなら、キケロの家で勾留されることも厭わない」とまで述べましたが、キケロはそれでは許さず、カティリナを酷く弾劾します。
このキケロの弾劾演説は、素晴らしい弁舌からとても有名で、丸々一冊纏めて本になってたりします。
「いつまで乱用するつもりか、カティリーナ、我々の忍耐を。
いつまでしらをきるつもりか、お前の無謀な行為を。
次はどの手に訴えるつもりか、お前の限りない欲望を実現するために。」
『ローマ人の物語4 ユリウス・カエサル ルビコン以前』塩野七生
こんな調子でキケロから弾劾されたカティリナは、ローマから逃げ出しました。
共謀者の逮捕
その後も元老院は、本当にカティリナの陰謀があったのかどうか確信が持てなかったのですが、陰謀への傘下を持ちかけられたガリア人の証言により、ローマに残っていたカティリナの共謀者5人が逮捕されます。
キケロは強い調子で、この陰謀に加担した者たちを処刑するように演説を行います。
しかしカエサルは、「ローマ市民は裁判を受けなければ、死刑になることは無い」という法律に従って、あくまでも死刑には反対。終身刑を主張します。かっこいいですね。
でもこういう人たちを庇ったら自分の身も危なくなります、カエサルは死刑賛成派の者たちによって殺されかけ、ほとぼりが冷めるまでしばらく家に引きこもりました。
とまあこんな感じで、カティリナ一味を弾劾して国家の危機を救ったキケロは、元老院から「国家の父」という称号を賜りました。
カエサル流の疑いの晴らし方
ちなみにこの時は、「あいつも共犯者なんじゃね?」と元老院みんなが疑心暗鬼になっていて、カエサルも共犯者じゃないか?と疑われていました。
そんな時に、カエサルが会議中に手紙を受けとります。
そこを見逃さなかったのが小カト。「それみろ!それがカエサルが共犯者だという証拠だ!」と騒ぎ始めました。
そこでカエサルは「しょうがないなあ・・・」と手紙を小カトに見せると、なんとそれは小カトの義姉であるセルウィリアからのラブレターだったのです!
小カトは「この女たらし!」とカエサルに向けて叫んで、議場は大爆笑に包まれ、カエサルへの疑いが一気に晴れてしまった、という有名な逸話があります。
その後
その後カティリナの一味は、イタリア北部にて集めていた軍で挙兵しましたが、金で集めた者たちは既に逃げ、当初の数の4分の1になっていました。
そこでカティリナはアペニン山脈を越え、ガリア・キサルピナに逃げ込もうとしましたが、ローマの正規軍に北と南から挟まれ、戦うことを余儀なくされます。
カティリナはここで、指揮官にも関わらずに最前線に飛び込んで戦い、カティリナの下に残った兵士たちも勇敢に戦いました。
戦い自体はローマ正規軍が勝利しましたが、カティリナの軍の死体を検分していると、カティリナの兵たちは全員正面から傷を負っていました。カティリナの自身の遺体も最前線で発見されています。
将軍が最前線で死ぬことなど、共和制末期のローマではほとんどありえず。また普通逃げたりすると背中に傷ができるので、カティリナの兵たちはみんな逃げずに戦ったということですね。これはローマの社会でももっとも名誉ある死に方とされていました。
というわけでクーデターを計画して失敗したものの、カティリナはそこまで裏切り者として扱われず、「中々やるじゃん」という評価で終わりました。
逆にこのクーデター計画を事前に止め、「国家の父」と敬われたキケロは、後にカティリナ一味を死刑にしたことが、カエサルの言ったように「裁判なしでローマ市民に死刑判決を出した」越権行為とみなされ、ローマから追放されてしまうのでした。
カティリナの政敵であるキケロ
関連書籍