【スッラ】共和政ローマ末期の独裁者

スッラ

生まれ

ルキウス・コルネリウス・スッラは紀元前138年、コルネリア氏族の分家に連なる貴族(パトリキ)家系に生まれましたが、家は没落していて貧乏でした。

そのため共同住宅(インスラ)に住み、同じ共同住宅に住む解放奴隷と財産の額もそう大して変わらない程だったそうです。

だから付き合う相手も、俳優やダンサーなど貴族としてはありえない人付き合いをしていますが、スッラが偉くなった後も、このような者たちとの付き合いは止めませんでした。

共同住宅(インスラ)

でも教育をまったく受けていなかったかというとそうでもなく、当時の教養とされていたギリシア語に堪能だったことから、なんらかの教育は受けていました。

ユグルタ戦争

そんなスッラが歴史の表舞台に出てきたのは、ユグルタ戦争の時。

ローマ軍を率いていたのはメテッルス。

 

しかし副官のマリウスは上司の能力に不満を持ち、ローマ本国に帰って「あの無能に代わって、俺に指揮権をくれ」と執政官(コンスル)選挙に出馬して見事当選します。

マリウスはこの時スッラをクァエストルとして副官に選び、元上司であるメテッルスを押しのけてユグルタ戦争の指揮を執りました。

マリウス

しかし新しく指揮を執ったマリウスも、前のメテッルスと大して変わった戦略を取りませんでした。そのため戦線は膠着します。

ここでスッラが得意の外交交渉にて、敵のユグルタの義父であり、隣国のマウレタニア王をローマ側に抱き込み工作を行い、ユグルタを生け捕りすることに成功しました。

捕らえられたユグルタ(右)

このスッラの活躍により、ユグルタ戦争は終結することができましたが、副官スッラの功績が大だったのに、手柄は指揮官であるマリウスのものとされてしまいます。

ここから後に宿命のライバルとなる、マリウスとスッラの不和が始まるのです。

順調に出世するスッラ

スッラは賄賂を駆使して上手く政治キャリアを登っていき、紀元前97年に法務官(プラエトル)、その後はキリキア総督も務めています。

 

同盟市戦争が始まると、ローマ軍の指揮官として目覚ましい活躍をし、紀元前88年にはローマ最高の官職であった執政官(コンスル)に選出されました。

 

ミトリダテス戦争が起こると、誰をローマ軍の指揮官として対応に当たらせるのかで元老院が紛糾します。

ポントス国王ミトリダテス6世

今までの経歴から言えばマリウスが適任でしたが、彼はすでに執政官(コンスル)を6回も務めており、平民出身で民衆派(ポプラレス)であるマリウスにこれ以上活躍してもらっては元老院的に困るのです。

そこで貴族出身で閥族派であるスッラが執政官(コンスル)となり、元老院の命によりローマ軍を率いてミトリダテス戦争に向かいます。

マリウスのクーデター

でもマリウスはこれに不服でした。

彼は平民から軍に入り、たたき上げで成り上がって来た英雄。

たとえ69歳の老境に入ろうとも、軍を率いるのは自分しかいないと確信していました。

 

というわけでマリウスはクーデターを起こし、元老院に自分がミトリダテス戦争の指揮権を取るのだと認めさせました。

これを聞いたスッラはとんでもない行動に出ます。

なんと、軍を率いてローマに進軍したのです。

スッラのローマ進軍(1回目)

当時、軍を率いてローマに入ることはご法度とされていました。

ローマに入る前に軍を解散し、武装解除するのが暗黙の了解です。これに反して軍を率いてローマに入った将軍は、ローマの歴史上存在しませんでした。

こんな掟破りなことをする将軍には、ふつう兵士はついて行かなそうですが、皮肉にも政敵のマリウスの行った軍制改革により、兵士はローマでは無く将軍に忠誠を誓う制度に変わっていたため、兵士たちもスッラについて行ってしまったのです。

 

こうしてスッラは軍を率いてローマに乗り込み、マリウスは北アフリカに逃れました。

ローマで自身の基盤を整えたスッラは、元老院にてマリウスとその仲間たちを国家の敵として認定させ、再びミトリダテスと戦うためにギリシアに渡りました。

マリウスのクーデター(2回目)

しかしスッラがギリシアに渡って不在の最中、マリウスは北アフリカから再びローマへと戻り、スッラ追放を宣言します。

そして民衆派のマリウスとキンナ執政官(コンスル)として選出されました。

でも民衆派のリーダーだったマリウスは、執政官になってから2週間で70歳でこの世を去ってしまいます。後に残されたのはキンナだけでした。

 

一方その頃、ミトリダテス戦争に向かったスッラは、ローマを奪還するよりも先にミトリダテスとの戦争を優先しました。

そしてミトリダテスを叩き潰したスッラは、早々にミトリダテスと和約を結び、小アジアに2個ローマ軍団を残して東方からローマに向けて帰ってきます。

 

残された民衆派のキンナは、アドリア海を越えてスッラを迎え撃とうとしましたが、兵士たちに反乱を起こされて殺されてしまいます。

ローマでは軍を率いて帰ってくるスッラを恐れ、軍団が編成されます。

スッラのローマ進軍(2回目)

しかし軍を率いてイタリアに上陸したスッラの進撃は止まらず、後に三頭政治の巨頭ともなるポンペイウスクラッススもスッラの味方につきます。

こうしてスッラは掟破りのローマ進軍を2度も行い、共和政ローマ末期の覇者となりました。

 

スッラは自身に従う軍を背景に元老院を脅し、ハンニバルと戦った第2次ポエニ戦争以来100年以上置かれていなかった独裁官に就任します。

しかも通常6か月しか任期の無い独裁官にも関わらず、任期は決められていません。これはもう王様みたいなものです。

 

この辺りでスッラは自分の名前にフェリックスという文字を加えます。

これは「幸運な者」という意味でした。

プロスクリプティオ(処刑者リスト)

スッラは政敵を屠るため、プロスクリプティオ(処刑者リスト)をつくり、ローマ中を粛清して周ります。

プロスクリプティオ

このプロスクリプティオ(処刑者リスト)にはスッラの政敵だけでは無く、スッラの支援者にとって都合の悪い者も含まれていました。

このリストに載ってしまったものは誰であろうと処刑され、匿った者も死刑とされる怖いもので、逆にリストに載った者を殺せば2タラントもらえます。

 

というわけでローマ中が血で血を争う粛清状態となり、妻が夫や子を殺したりする地獄絵図へと変わります。

この時に処刑された者の財産は没収されたため、スッラは莫大な財産を築くことに成功しました。

若き日のカエサルも粛清リストに載っていた

この時、後に英雄となるカエサルもスッラの粛清のリストに載せられていました。

カエサル

が、人望のあったカエサルは、スッラの味方である閥族派からも助命嘆願がたくさん寄せられ、命だけは助けられます。

この時にスッラは「このカエサルの中には、たくさんのマリウスが居るのだぞ」と警告して言ったとされます。

事実カエサルは後に民衆派のリーダーとして元老院から権力をもぎ取ったので、人を見る目はあったのかもしれません。

引退

こうしてローマの権力を一手に握ったスッラでしたが、紀元前81年頃、急に独裁官を辞任し、さらに軍団を解散してローマを通常時の政治体制に戻しました。

そして紀元前80年には執政官(コンスル)として選出され、リクトル(護衛)もつけずにローマのフォルム(公共広場)を歩いたとされます。それでも暗殺などはされませんでした。

 

その後、元老院の権力を強化する様々な改革を終えたスッラは、執政官の任期を終えると、ポッツオーリの別荘(ヴィラ)に引退。

妻と愛人の男と共に、そこで自身の回想録を書きながら余生を暮らしました。

 

最期は潰瘍に罹り、身体中にウジが湧いて死亡したと言われています。

葬儀として盛大な国葬が執り行われ、彼の墓にはスッラ自身で考えられたこんな墓碑が刻まれました。

 

味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、
敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし。

ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) 塩野七生

 

宿敵マリウス

【マリウス】実力だけでローマの権力者となった男

 

人物伝 目次

 

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