イヴァン雷帝 part4

モスクワでの拷問

佯狂者ニコライに追い払われて、ノヴゴロドで捕獲した捕虜と共に、首都モスクワに帰って来た雷帝。

彼はモスクワに帰って来てすぐに、「ノヴゴロドから連れてきた捕虜で、大拷問祭を開くから集まれ」とモスクワ市民に布告を出しました。

 

この時代、処刑は、見せしめや見世物として、たくさんの見物客が押しかけ、出店などが出たりする、都市の単調な生活に彩りをつけるお祭りのようなものでした。

しかし、イヴァン雷帝の開いた大拷問祭には、見物客が人っ子一人集まりませんでした。

市民たちは見物に行って、雷帝の気まぐれで自分も巻き込まれてしまうのを恐れたのです。雷帝だったら、ありそうですよね。

 

これに雷帝は不満を覚えました。見物客が居ない拷問祭なんて開いても楽しくありません。

そこで彼は、「お前らには絶対手を出さないから見に来い。な?」と、無理やりモスクワの市民を集めました。

 

大勢の観客が来たところで、雷帝は満足。モスクワの広場にて、雷帝の腕によりをかけた大拷問祭が開演しました。

 

生け捕りにされたノヴゴロドの無実の市民たちは、ある者は肛門からゆっくりと串刺しにされたり、ある者はグツグツと沸騰した大鍋の中に放り込まれて煮殺されたり、あるいは高温の油で生きたまま素揚げにされたりしました。

さすがこれまで拷問ばっかりやってきただけあって、手慣れてますね。

 

この大拷問祭で捕虜300人のうち、120人が拷問によって処刑されました。寛大にも、残りの者は拷問による死だけは免れました。

こうしてノヴゴロドの住民が本当に反逆を企てていたかどうかはともかく、ノヴゴロドの反逆の疑惑をスッキリとさせ、「お前らも逆らったらこうなるぞ」とモスクワの市民に示した雷帝。

 

しかし今度は強力になりすぎた自身の親衛隊であるオプリーチニキたちが疑わしく思えてきました。

そこで、この辺りからオプリーチニキの上層部を拷問して粛清したりし始めます。

 

クリミア・ハン国のモスクワ強襲

リヴォニア戦争の戦況ですが、リヴォニアを争ってポーランドやリトアニアと争っている間に、オスマン帝国の支援を受けたクリミア・ハン国がロシアに侵攻。

オスマン帝国の対応に苦慮している間に、ルブリン合同が行われ、敵国同士がくっついてポーランド・リトアニア共和国という大国が出来上がります。

※クリミア・ハン国はオスマン帝国の従属国

 

なんとかオスマン帝国と講和し、戦争を終わらせたものの、有能な指揮官は粛清されてほとんど残っていなかったため、リヴォニア戦線はポーランド・リトアニア軍に負け続き。

ロシアが弱っていると見るや、今度はクリミア・ハン国が単独で南から電撃的に攻め込んで来て、首都モスクワを焼き払いました。

このため、モスクワは廃墟と化し、数万人から数十万人もの市民が犠牲となりました。

 

ちなみにツァーリである雷帝は、いち早くモスクワから抜け出し、アレクサンドロフに避難していました。

なんとかクリミア・ハン国を追い出すと、雷帝は首都モスクワを守れなかったオプリーチニキたちに激怒し、オプリーチニナ制度を廃止しました。

 

相次ぐ結婚と離婚

この頃、結婚コンテストを開催し、3番目の妻、マルファ・ソバーキナを娶りました。

しかし、この頃にはもう、雷帝の嫁になるなど誰もが嫌がり、コンテストに参加などしたくありませんでした。

でも雷帝はどこからともなく美人の情報を聞き出し集めて、結婚コンテストを強行させました。

 

こうして選ばれた3番目の妻は、あの虐殺を行ったノヴゴロドの商人の娘でした。

しかし、哀れにも3番目の妻、マルファは結婚後半月で死亡します。

 

ウキウキで新しい妻ができると思っていた雷帝は激怒します。

「これは毒殺されたに違いない!妻を毒殺して得をするのは誰だ?」

こうしてより一層疑い深くなった雷帝は、怪しそうな者を片っ端から粛清しました。

 

さて、正教会の教義によると、結婚は3回までです。つまりイヴァン雷帝はこれ以上の結婚はできません。

しかしそれでは困ります。彼には支えとなる妻が必要だったのです。

 

そこで、彼は正教会に、「3番目の妻とは、まだベッドを共にしていないからセーフセーフ!ノーカン!!」と主張しました。

正教会も雷帝に逆らって面倒なことにはなりたくありません。

ということで特例として4度目の結婚が認められ、無事にアンナ・コルトフスカヤと結婚することができました。

イヴァン雷帝と新皇后アンナの新婚旅行の場所は、なんと2年前に虐殺を行ったノヴゴロドでした。

 

しかしこの4番目の妻にもすぐに飽きた雷帝は、結婚2年目で修道院に追放しました。

 

突然の退位、そして復位

1574年、ツァーリ・イヴァン雷帝はいきなり退位を表明。

後継者としてチンギス・ハーンの血を引くシメオン・ベクブラトヴィチを指名し、自ら彼の手を取って玉座に座らせ、雷帝は頭を下げて彼におもねりました。

しかしシメオンが玉座についても、周りの者は誰も真の実力者が誰か忘れませんでした。シメオンはただの操り人形であり、本当の大公はイヴァン雷帝です。

そうして貴族たちは、イヴァン雷帝への扱いを下げることなどせずに。今まで同様に恐れながら接しました。

 

本当の権力は称号に付随するものではなく、恐怖によって付随するものなのです。イヴァンはそれが良く分かっていました。

子供の頃、モスクワ大公となっても貴族たちは自分のことを歯牙にもかけませんでした。

しかし、玉座を捨てた今になっても、なお貴族たちは自分を恐れて媚びへつらいます。

「なんたる愉悦!」

 

雷帝はしばらくお飾りのシメオンに困惑しながら仕える貴族たちを、腹を抱えて横眼で見ていました。

しかし1年もすると、この状況に飽きたイヴァン雷帝は、シメオンを玉座から蹴落とし、再び自ら玉座につきました。

 

最終的に7回も結婚

さてこの頃、1576年にイヴァン雷帝は5人目の妻、アンナ・ヴァシリチコヴァを迎えました。

正教会は結婚3回が上限でしたが、もうこの頃は正教会とかどうでも良くなってました。

 

しかしこの5番目の妻アンナは結婚1~2年で死亡。

そこで雷帝は6番目の妻ヴァシリーサ・メレンティエヴァとすぐに再婚しました。

ヴァシリーサ・メレンティエヴァ(後ろに居る老人が雷帝)

 

このヴァシリーサ、たいそう美人で雷帝のお気に入りでしたが、あろうことか貴族との不倫が発覚。

雷帝は激怒し、不倫相手の貴族を彼女の目の前で串刺しにし、ヴァシリーサは修道院に送って生き埋めにしました。

 

そして雷帝はすぐに7番目の妻、マリヤ・ナガヤと結婚。

 

ちなみにこの7番目の妻と結婚する前に、1680年に結婚して、新婚初夜で処女ではないと判明し、雷帝にキレられて、馬車に身体を括りつけられたまま湖の中に突入させられて、溺死したとされるマリア・ドルゴルーカヤという皇后も記録にありますが。

これは後世の創作で、架空の人物という説が濃厚みたいです。

 

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