病床のツァーリと権力争い
カザン・ハン国を攻め落として、国民には英雄と称えられたイヴァン雷帝ですが、ここで病気にかかってしまいます。
ツァーリの病状は日増しに悪くなり、ついには生死の境を彷徨いました。
ツァーリがこうなって起こるのは後継者争いです。雷帝は後継者を、アナスタシアとの間に産まれていた、まだ赤子である皇太子ドミートリーとして、大貴族たちに臣従を誓うように命じました。
しかし、ツァーリが病に臥せるこの状況になって、大貴族たちは皇太子ドミートリーに対する宣誓を行うことを渋ります。
ドミートリーを後継者にすると、アナスタシアの生家であるザハーリン家(のちのロマノフ家)が力を持ちすぎることになり、大貴族たちが困るからですね。
そこで大貴族たちは、雷帝の従兄弟のウラジーミル・アンドレエヴィチを後継者に推すように動きます。
普段の雷帝ならば、こんな大貴族の横暴など怒り狂い、粛清したでしょうけど、今のイヴァン雷帝はベッドの上で生死の境を彷徨っており、粛清できるような状況ではありませんでした。
彼は病床で大貴族たちに、皇太子に臣従するように頼みますが、大貴族たちは弱ったツァーリの頼みなど聞きませんでした。
「くやしい・・・、愛妻との間にできた子供ではなく、大貴族どもの思うがまま従兄弟にツァーリの位を奪われるとは・・・。」
「神よ! 私を助けたまえ! あの不埒な貴族たちを許します。神への信仰を今よりも捧げます。どうか、この私にもう一度の生を与えたまえ!」
すると、神への祈りが効いたのか、イヴァン雷帝は全快します。
すっかり快復したイヴァン雷帝は、大貴族たちを今すぐにでも全員ぶち殺したい気分でしたが、神に祈った通り彼らを許しました。
しかし皇太子に臣従しなかった貴族たちは、この後数十年かけて、時々思い出したときに拷問されて処刑されることになります。神への祈りとは
感謝の巡礼
さて、全快したイヴァン雷帝は、自身の信仰を神へと示すために、感謝の巡礼を行おうとします。
側近たちはこれに反対しましたが、雷帝はこれを強行して家族で巡礼に出かけました。
するとどうでしょう。彼の乗っていた船が波で転覆し、赤子の皇太子ドミートリーが溺れて死んでしまったのです。
「神よ、私を助けたと思ったら、今度は息子の命を奪われるのですか!」
雷帝は神の気まぐれさを恨みました。
しかし巡礼を終えた後、アナスタシアがまた後継ぎの皇太子イヴァンを産んだので、雷帝の精神はなんとか踏みとどまりました。
ちなみに雷帝の名前もイヴァン、新しい子供の名前も同じイヴァンです。
リヴォニア戦争開始
この頃ロシアは白海を通じてイギリスと海上交易を行っていましたが、冬の間は海が凍って通商できませんでした。
そこでバルト海へと至る港を得ようとリヴォニアへ侵攻します。これが25年もの間、ずるずると続くことになるリヴォニア戦争です。
最初のうちはロシアは快調に進撃し、念願のバルト海の不凍港も奪取しました。
妻の死亡、狂っていく歯車
と、雷帝が鼻高々になっていたそんな時、1560年8月7日に最愛の妻、アナスタシアが急死します。雷帝30歳ぐらいの時です。
イヴァンはまさか、それまで元気で若かった彼女が、急死するとは思いませんでした。
宮廷では貴族たちがヒソヒソと、「皇后のアナスタシアは毒殺されたのだ」と噂します。
そもそもアナスタシアの出身のザハーリン家が調子乗ってたのが、大貴族たちには不満でしたし。それにこの頃は基本的には花嫁コンテストで嫁を決めてましたから、アナスタシアを殺したら皇后の座が空きますよね。
貴族がそこに家門の娘なんかを突っ込めたら、家門栄達のチャンスです。
だから大貴族の誰かが、皇后アナスタシアを暗殺するメリットはあったわけです。
しかし、大貴族の意向とは逆に、信じられるのはアナスタシアの出身ザハーリン家だけになったため、むしろそれまで以上にザハーリン家が台頭してくるようになったのでした。
アナスタシア殺して損するの、ザハーリン家だけだけですからね。
イヴァン雷帝は、妻の死によって空いた心の穴を埋めようと、すぐに16歳ぐらいの、若くて美しいマリヤ・テムリュコヴナと再婚しました。
しかし彼女は雷帝を失望させました。マリヤは美しいだけで、なんの教養も無かったからです。
さらにリヴォニア戦争でロシアの旗色が悪くなってきて、南からクリミア・ハン国も攻めてくるようになりました。こうして大貴族たちに、厭戦気分が広がるようになります。
雷帝は内からも外からも攻められ、しかもそれを上手く諫めてくれる前妻アナスタシアもこの世におらず、ついにプッチンキレました。
闇墜ち
彼は自分に反対する貴族たちを拷問し、次々と処刑していくようになったのです。
この時、軍を率いる有能な指揮官を多数処刑していったので、兵を率いる能力を持つ人がいなくなって、余計戦争がキツくなりました。
イヴァン雷帝は熱心なキリスト教徒ですので、彼は朝に礼拝を欠かしませんでした。
そして礼拝が終わると、「裏切り者っぽい」怪しい貴族を拷問しました。
皇太子のイヴァンと共に、拷問を見物して「裏切り者」が苦しんでいる様子を見て楽しんだのです。
雷帝は疑わしきは罰するの精神で、怪しかったらとりあえず拷問して殺しました。
この鬼畜の所業を見て、貴族たちは敵国に亡命しはじめます。すると益々周りの者が怪しく見えて、粛清は激しさを増しました。
それでも残った貴族や聖職者たちは、なにやら集まってツァーリを非難し始めました。
「なぜ裏切り者を処罰しているだけなのに、誰も分かってくれないのか?!」と自棄になったツァーリは、モスクワから抜け出し、こう宣言しました。
「もうツァーリやめる!」
退位宣言、そして権力集中
首都モスクワからいきなりツァーリが居なくなって、アレクサンドロフに立てこもったため、ロシアの政治が全てストップすることとなります。
さらに、雷帝は市民たちに当てて、こんな手紙を書きます。
「貴族や聖職者たちは腐敗し、私に叛逆を企てている。あの腐敗しきったやつらのせいで、私はマトモに政治が行えず、退位するしかない。」
これを見た市民は、雷帝にコロッと騙され、「腐敗を根絶しようとして邪魔をされた、可哀そうな雷帝を虐げる、悪い貴族や聖職者たち」に対する暴動が起きました。
大貴族や聖職者たちは、民衆に命を狙われ、イヴァン雷帝に「なんでも言う事を聞きますから、戻ってきてください」と言うしかありませんでした。
こうしてイヴァン雷帝は、裁判不要で死刑判決が出せ、その財産を自由に没収できる無制限の非常大権を引っ提げて、モスクワのクレムリンに戻って来たのです。
しかし、こんな権力をもってもなお、イヴァンは身の危険を感じていました。
彼は、いつ不埒な大貴族が反乱を起こすか、アナスタシアのように毒殺されるか心配だったのです。
オプリーチニナ制
そこで彼はオプリーチニナ制度をつくりました。
ロシア全国の良い土地を、ツァーリ直轄の土地とし、自身の特別親衛隊であるオプリーチニキに管理させたのです。
もしその良い土地が貴族の土地だったら、拷問して処刑して財産没収するか、辺境のクズ土地のゼームシチナを代わりにやりました。
この雷帝直属の特別親衛隊であるオプリーチニキは物凄い権力を持ち、ツァーリの名の下、何をやっても許されました。
貴族すら裁判不要で処刑可能。略奪・強姦しても無罪。さらに税金が実質的に、それまでの十倍になりました。
オプリーチニキは貴族・平民・商人の身分を問わず、拷問をして殺して回ります。
民衆はこの時自身の過ちに気づき、貴族や聖職者が悪かったのではなく、イヴァン雷帝がヤバかったのだと悟りました。
しかし、すでに非常大権を手にしたイヴァンに諫言できるものなど居ません。
こうしてイヴァンは人々から、「恐ろしい」=雷帝と呼ばれるようになったのです。