陰湿なカエサルいじめ
ガリア戦争によってガリア(今のフランス辺り)をほぼ征服し終えたカエサル。
カエサルのガリア総督としての任期はもうすぐ切れてしまうため、絶対軍事指揮権(インペリウム)の期限切れが近づいていました。
そこでカエサルはローマに戻って執政官(コンスル)として再出馬し、軍事指揮権の更新をしようとしましたが、元老院はカエサルにあれこれ難癖をつけて執政官(コンスル)への立候補を認めませんでした。
その理由が、執政官(コンスル)に立候補したいならば、軍団を解散し武装解除してローマに帰って来いというもの。
しかし軍団を解散して丸腰でローマに帰ったら、暗殺されるのが容易に予想できるので、カエサルとしてもこんな条件は飲めません。
そもそも、今までは属州総督任期が切れてから執政官(コンスル)に選ばれるまで、本当は法律上は軍事指揮権は与えられていなかったものの、軍団を解散しなくても黙認されていたのです。
昔スパルタクスの乱の鎮圧後に、ポンペイウスとクラッススが軍団を解散せずに、執政官(コンスル)に立候補していた時のことを思い出してください。今は元老院派の旗頭であるポンペイウスが昔やっていたことを、いまさらダメとか言い出していたのです、まさに「お前が言うな」状態です。
だからカエサルは何度も元老院派と交渉を行おうとし、さらに「ポンペイウスも軍団を解散させるならば、しょうがないから自分も軍団を解散する」とまで妥協しましたが、ポンペイウスはこれを拒否しました。こんなの完全に暗殺しにきてるようなもんじゃないですか。
元老院はこのカエサルの政治的危機に調子に乗り、元老院最終勧告(セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム)を発令しました。元老院の言う事に従わないと、「国家の敵」と認定する最後通牒です。
カエサルはあくまで政治的解決を目指していましたが、ここまで強硬的な態度を取られては、もはや軍事的衝突は避けられません。そこで自分の軍団を引き連れてルビコン川のほとりまでやってきます。
カエサル「賽は投げられた」
この時代、ルビコン川以南がローマ本国とされていて、軍団を維持したままルビコン川を越えることは、ローマに対する反乱行為とみなされて違法でした。
そのルビコン川をしばらく眺めたカエサルは、自身の軍団の兵士たちに対してこう告げます。
ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅。
進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!
ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) 塩野 七生
こうしてカエサルは軍団を引き連れてルビコン川を渡り、ローマ内戦が始まりました。
ローマ内戦
「国家の敵」「英雄」カエサル迎撃命令
ポンペイウスはイタリア北部に配置した自身の軍団に、「国家の敵」カエサルの迎撃命令を出して、カエサルを討とうとします。
しかしローマの市民たちの間では、カエサルはガリアを征服したローマの英雄。どうして元老院との政治争いに巻き込まれて、その英雄を討たなければならないのでしょうか。
さらにローマはついこの前、同盟市戦争でドロドロの内戦を行ったばかり。そんな惨状を、ついこの前のことのように覚えていた同盟市は、ガリアから帰って来た英雄との戦闘を拒否します。
というわけで、ポンペイウスがイタリア北部に配置した兵士たちは、ことごとく戦意を喪失。
カエサルはルビコン川を越えてから、電光石火の勢いでローマに向けて進軍してきました。
ポンペイウス、元老院議員がローマから逃亡
これに驚愕したのはポンペイウスと元老院。イタリア北部に配置していた兵士たちは当てにならない上、ローマは無防備状態だったからです。
今まで元老院を抱き込んで、カエサルを法律を盾にチクチクいじめ、政治的に有利な状況だったのが、ついにキレたカエサルが軍団を率いてローマにやってくるのです。カエサルがローマにたどり着いたら、何をされるかたまったもんじゃねえ。
というわけでポンペイウスは元老院議員たちを引き連れて、無防備な状態だったローマから逃げ出し、自身の勢力基盤であるギリシアへ逃走しました。
この時、ポンペイウスにはヒスパニア(今のスペイン辺り)へ逃走するという選択肢もありました。このヒスパニアにはポンペイウス子飼いの軍団が駐屯しており、兵力を考えればこちらの方が有利です。
しかしもう1つの選択肢である東方には、豊かな財力がありました。ポンペイウスはこの財力を当てにして、大規模な兵力を整えた上でカエサルを迎え撃とうとしたのです。
カエサルのヒスパニア征圧
カエサルは逃げるポンペイウスを猛追しました。
しかしポンペイウスは海賊を討伐した時の名残で、地中海の制海権を握っており、さらに冬の間は地中海が荒れるため、容易に海を越えて東方に渡ることができません。
というわけで、カエサルとポンペイウスとの即時の決戦は避けられました。
カエサルは東方へと渡る前に、まずポンペイウスの勢力基盤の1つである、西のヒスパニア(今のスペイン辺り)にいるポンペイウスの軍団を倒して後方の安全を確保してから、アドリア海を渡ってギリシアに上陸しました。
ちなみにカエサルはヒスパニアに行って、ポンペイウスが居ない軍団を攻める時に、「指揮官が居ない軍団と戦いに来た」と言ったらしいですね。やはり有能な指揮官がいない軍隊というのは、いくら百戦錬磨と言っても弱い。
カエサルのギリシア上陸
さて、制海権を取られている状態で、元老院派海軍の目を盗んでギリシアに上陸したカエサルでしたが、やはり制海権を取っていない状態で敵の本拠地に乗り込むというのはキツい。
なぜなら、制海権が無い上に敵のど真ん中なので、補給物資が来ないからです。飯が食えないと、いくら強い軍隊でも負けます。
というわけでカエサルはすぐに決着をつけようと、ポンペイウスの拠点を、ポンペイウスよりも少ない兵力で包囲しました。
しかしポンペイウスの側としては海から補給物資が来るために、包囲されていても悠々自適の暮らしができていましたし、敵に包囲されていても余裕をもって構えることができました。包囲しているカエサルの軍の方が、飯の心配で余裕がなかったぐらいです。
ここでカエサル軍からポンペイウス軍へと脱走した者がおり、カエサル軍の包囲網の弱点を密告しました。
ポンペイウスはこの情報を得て、「機は熟した」とばかりに攻勢に打って出て、カエサル軍を敗走させます。
この時、ポンペイウス軍が追撃をかければカエサル軍はメタメタにやられていたでしょうが、余りにも攻撃が上手く行ったために、「これはカエサルの罠ではないか?」と考えて、逃げるカエサル軍の追撃を行いませんでした。
ポンペイウスとしては、制海権を持っているから自軍の補給はしっかりしているし、別に追撃して危険を冒すメリットが無いので、別にここでカエサルと早期の決着をつける必要が無いのです。
逆に敵中ど真ん中で敗北にさらされたカエサル軍は、早期に決着をつけないといけません。
そこでカエサルはテッサリアの平原に陣を張り、ポンペイウス軍との決戦を挑みました。
ファルサルスの戦い
足を引っ張る元老院議員
別にポンペイウスはこれに応じずに、補給線の整えられていないカエサル軍が、ひもじさで弱っていくのを眺めていても良かったのです。というか、そうするべきでした。
しかしここでポンペイウスについてきていた元老院議員たちが、「カエサル軍とさっさと決戦を行って、早くローマに帰らせろ!」と駄々をこねました。ローマ生まれでローマ暮らしの金持ち共には、軍の野営地暮らしは魅力的では無かったのです。
「カエサルなんてさっさと倒せるだろ?ポンペイウスは大将軍なんだから」と、軍事について何も知らない元老院議員たちが、下からポンペイウスを突き上げます。
それもそのはず、この時点でポンペイウスは戦争でただの一度も負けたことがありません。まさに常勝無敗の大将軍、生ける伝説、いわゆるゴッド。
対するカエサルと言えば、ガリア戦争では勝ったかもしれないけど、どうせラッキーパンチだろ、所詮はハゲの女たらし。みたいな感じでした。
というわけで引き連れていた小うるさい元老院議員たちによって、ポンペイウスはする必要のない決戦を挑まざるを得なくなりました。こうして起こったのがファルサルスの戦いです。
兵力差、質の違い
元老院議員たちが強気だったのは、ポンペイウス軍の方の兵力が大きかったのもあるでしょう。戦力はカエサル軍のおよそ2倍でした。
しかし戦闘というのは、兵力で決まるわけではないもの。特に現代のように銃で撃ち合うのではなく、槍や剣で敵と間近でやり合う古代の白兵戦ならばなおさらです。
カエサル軍はついこの間までガリア戦争を戦い抜いてきたベテラン兵、それに対してポンペイウス軍は、徴兵して訓練したばかりの新兵ばかり。烏合の衆がいくら集まったと言っても、どれだけ信用できるか。
カエサルはこの戦いの直前、「軍隊の無い指揮官と戦いに行く」と言っています。
もし名将のポンペイウスが、ヒスパニアいた自分の子飼いの軍団を率いて戦っていれば、カエサルとてどうなったか分からないでしょう。
しかしポンペイウス軍の兵士は寄せ集めの新兵ばかりであり、さらにカエサルの奇策もあって、ファルサルスの戦いではポンペイウスは自軍の主力歩兵戦列が側面攻撃されるのを見るや、ポンペイウスは敗北を悟って戦闘の経過を見ることなく逃走しました。優れた武人だからこそ、戦列側面を突かれてしまえば、もう負けてしまうことが分かってしまったわけですね。
カエサルとの決戦の詳細
最初にして最後の敗北
このファルサルスの戦いでの敗北が、ポンペイウスにとって初めての、そして唯一の敗北でした。
彼はカエサルの猛烈な追撃から逃れるため、東方各地の子分(クリエンテス)たちが居る土地を彷徨いましたが、ファルサルスの戦いでカエサルとの雌雄を決して、敗残兵となったかつての親分(パトロヌス)であるポンペイウスを温かく迎えるところは、どこにもありませんでした。
そこでポンペイウスは、エジプト王国に逃れて態勢を整えようとします。エジプト王国は、表向き親分(パトロヌス)であるポンペイウスを歓迎するようなそぶりを見せましたが、実はカエサルに負けた敗残者である彼を受け入れて、もはや敵に無しになったカエサルに歯向かうような真似をする気は無く、ポンペイウスを暗殺する気でした。
ポンペイウスがガレー船に乗ってエジプトに着いた時、浅瀬に上陸するためにエジプト側の小舟が送られてきました。
その船上には、かつての部下であったルキウス・セプティミウスもいたことから、ポンペイウスは心配する家族を宥めてその小舟に乗り込みます。
その小舟に乗って、エジプトの浜に上陸しようとしたその瞬間、ポンペイウスは後ろから不意打ちで刺されてこの世を去りました。享年58歳。
その後
数日後にカエサルがエジプトに到着した時、エジプト側から暗殺されたポンペイウスの首が差し出されたのを見たカエサルは、雌雄を決したライバルでもあり、三頭政治でローマの国政を一緒に運営していた仲間でもあったポンペイウスが、子分(クリエンテス)に裏切られて無惨な末路を遂げたことに涙を流しました。
その後寛大なカエサルは、ポンペイウスについていった元老院議員たちを許し、国政に復帰することまで許しました。ポンペイウスも生きていたら、もしかしたら許されていたかもしれません。命を取られることは無かったかも。
しかし終身独裁官となったカエサルは、「ローマの王となろうとしている!」と共和主義者の元老院議員たちによって暗殺され、ポンペイウスが建てたポンペイウス劇場のポンペイウスの像の下で息を引き取ることとなるのでした。