英雄ポンペイウス
地中海東沿岸部を全てローマの支配下に組み込み、ローマの国税収入を5000万ドラクマから8500万ドラクマに増やした英雄ポンペイウス。
彼は「独裁者になるのではないか」という誤解を解くため、軍隊を解散し英雄として迎えられ、3度目の凱旋式を行いました。
このようにしてポンペイウスの人気は頂点へと登ったわけですが、これを良く思っていなかったのが元老院。
彼らは人気があるからといって、調子に乗っているポンペイウスに危機感を抱いていました。
元老院の嫌がらせ
そのため元老院は、ポンペイウスが東方遠征に付き従っていた自分の兵士たちに土地を配ろうとしたところ、これを妨害します。
この頃のローマはマリウスの軍制改革により、無産市民(プロタリア)が人生の一発逆転を目指してなるものに変わっていました。だからどこかに遠征して成功したら、兵士たちにも分け前を配るものです。そのために兵士も奮起して頑張るというものでしょう。
もし「この将軍についていっても儲からない」となってしまえば、その将軍について行く兵士なんて居なくなってしまうでしょう。だからポンペイウスは超ピンチです。
だから元老院は、あまりにも人気を持ちすぎたポンペイウスへの嫌がらせとして、兵士たちに土地を与えなかったのです。ポンペイウスの影響力を削ごうと思ったのでしょうね。
ポンペイウスは軍事的才能はあっても、政治的才能はからっきしダメな人物。自分自身にとても人気があり、功績があるにも関わらず、部下の兵士たちへの土地の配分を元老院に認めさせることができませんでした。
しかし、このローマの功労者に対する元老院の態度が、歴史を大きく変えてしまう切っ掛けになってしまうのです。
第一回三頭政治
ユリウス・カエサル
今まで苦労してついてきてくれていた部下の兵士たちに恩賞が配れず、面目丸つぶれだったポンペイウスの元に、ユリウス・カエサルから非公式の政治同盟の提案が持ち掛けられたのです。
カエサルは元老院議員の一人で、当時の出世頭の一人でもありました。ポンペイウスと違うのは、異例のキャリアを歩んできたポンペイウスとは違い、穏当な出世コース(クルスス・ホノルム)を歩んでいたこと。今で言うなら東大を出て、財務省にでも入ったエリート官僚と言ったところでしょうか。
ただポンペイウスほど極端に目立っていたわけではなく、エリートの中の一人といった存在でした。
しかしカエサルが他の元老院議員と違ったところ、それは閥族派の終身独裁官スッラによって根絶やしにされたはずの民衆派(ポプラレス)だったことです。つまり既得権益層の味方ではなく、民衆の味方だったのです。
さらにカエサルは、ほぼ全ての元老院議員がポンペイウスの海賊討伐計画に反対していた時、民衆の被害を考慮して賛同していました。
そしてなんと言っても、このカエサル、口が上手い。カリスマ性がある。
前にも言った通り、全元老院議員の半分の妻を寝取ったほどの実力者でした。ちなみにポンペイウスもカエサルに妻を寝取られて離縁しています。
このカエサルが、「君の兵士に土地を与える法案を通して、面目を保ってあげる。だから政治的に同盟を結ぼう」と提案してきたのです。
口の上手いカエサルとしても、民衆にとてつもない人気があり、軍事的栄光を手にしているポンペイウスを味方に引き入れたかったのです。
第一回三頭政治成立
だからポンペイウスはカエサルと手を結びました。
カエサルはこの政治同盟に、ローマ1の大金持ちであり、スパルタクスの乱で手柄を横取りして以来ポンペイウスの天敵であったクラッススを引き入れます。二人の仲は最悪でしたが、これは口の上手いカエサルがなんとか仲介しました。
こうして政治力のカエサル、軍事力・人気のポンペイウス、資金力のクラッススの3人で政治同盟を組み、ローマの政治をこの3人で動かすようになりました。これが第一回三頭政治です。教科書で必ず載っているので、知ってる人も多いでしょう。
元老院が、民衆に人気のあるポンペイウスの足を引っ張ろうとしていたところ、その対策に三頭政治体制が組まれ、元老院から政治を動かす力を奪われてしまったというわけです。馬鹿だねえ。
ちなみに、カエサルはこの三頭政治にキケロも誘ってます。ガチガチの共和主義者であるキケロは、「そんなもんけしからん!」と断りましたが、もしこれに入ってたら四頭政治と言われていたかもしれませんね。
カエサルの凄まじい政治力
こうして軍事力・政治力・資金力が集まった三頭政治は最強でした。
中でもとりわけてカエサルの政治力は凄まじく、この頃ローマでは紀元前~年というのを指す際、「紀元前~年は、~と~が執政官(コンスル)の年だったな」という風にローマの元首である2人の執政官(コンスル)で表していたところ、三頭政治が始まってからの「紀元前59年は、ユリウスとカエサルが執政官(コンスル)の年だったな」と表されるほどでした。
この時カエサルと同時期に執政官(コンスル)となっていたビブルスは、カエサルの政治的活躍の前に完全に日陰者となり、カエサルに政治的にメタメタにされて家に引きこもってしまっていたから、「実質的にユリウス・カエサル1人が執政官(コンスル)みたいなものだったな」というギャグです。ちなみにビブルスはいっつもこういう損な役回りばっかり回されてます、可哀そうに。
このような凄まじく弁舌と根回しが上手いカエサルのこと、ポンペイウスが元老院に認めさせることのできなかった、自身の部下の兵士たちへ土地を与える法案など簡単に認めさせることが出来ました。
こうしてポンペイウスは部下たちに面目を保つことができたわけです。
カエサルの娘ユリアとの結婚
こういう風に三頭政治は自分たちだけで国家の政治を運営する寡頭政治体制だったために、自分の十八番である政治権力を奪われた元老院はマジ切れするでしょう。もしかしたら三頭政治の中の1人に接触して、切り崩し作戦を行ってくるかもしれません。
というわけで三頭政治の結束力を高めるため、ポンペイウスは、カエサルの娘のユリアと結婚しました。
このユリアはとても人好きのする女性だったようで、ポンペイウスよりも20歳以上も歳下でしたが、夫婦仲はとても良く、ポンペイウスはこの若い妻にベタ惚れになりました。これでカエサルとポンペイウスの仲は安泰です。
ちなみに三頭政治体制のもう一角のクラッススの方ですが、カエサルはこのクラッススから莫大な借金をしており、どちらも共存共栄関係を保っていたので裏切ることはありません。
こうして得意な分野と不得意な分野がある3人が寄り集まって力を合わせ、強固な寡頭政治体制を築き、口うるさい元老院を封じ込めたのでした。
カエサルに嫉妬し始めるポンペイウス
しかしここで状況が変わってきます。
カエサルがガリア戦争に行って勝利を収め始めると、民衆は過去の英雄であるポンペイウスをすっかり忘れ、カエサルを賛美し始めたからです。
実はカエサルは、これまで軍を率いて目覚ましい活躍をする機会が無かっただけで、軍事的才能もあったのです。
これに焦ったのはポンペイウス。自分の取り柄は軍事的才能と民衆の人気だったわけですが、カエサルがガリア戦争を勝利に収めてガリアを征服した場合、ポンペイウスの上位互換版になるわけであり、政治力も備えたカエサルよりも劣っている存在とみなされるでしょう。
ポンペイウスは他人の手柄を横取りするほど、軍事的栄光を求める、いわば虚栄心がもの凄い強い人物でした。そんな人が、カエサルが台頭してきて自分に取って代わっていくのを静観できるわけがありません。
そのため、カエサルがガリア戦争で勝利を収めるたびに、民衆はカエサルを賛美しますが、ポンペイウスは不機嫌そうな顔で、ガリア戦争の報告を読もうともしませんでした。
愛妻ユリアの死
でも彼には、カエサルの娘である愛妻ユリアがいました。
ポンペイウスはこの若い妻に首ったけであり、ヒスパニアの属州総督であったにも関わらず、任地ヒスパニアには代理人を派遣して、ポンペイウス自身はローマに滞在しながらラブラブ生活を送っています。
これだけラブラブならばカエサルとの同盟も安泰・・・と思われていました。
しかしここで愛妻ユリアが、産まれてきた女児と共に産褥で死んでしまいました。
ユリアを愛していたポンペイウスは、これに嘆き悲しみます。
しかしカエサルとしては、娘の死よりもこの状況が非常にマズい。なんと言っても民衆から人気のあるポンペイウスとの血の繋がりが、途切れてしまったからです。
カエサルはガリア戦争でガリア(今のフランス辺り)征圧にかかりきりであり、ローマに居るポンペイウスのケアをすることができません。
クラッススの死
さて、もう一人の三頭政治の一角であるクラッススは、東方のパルティア遠征に出払っていました。
その昔、ポンペイウスにスパルタクスの乱鎮圧の際に手柄を横取りされて以来、クラッススは凱旋式が行なえていなかったので、軍事的栄光を手にするため、わざわざ東方にまで出向いてパルティア遠征を開始したのです。
クラッススは金は腐るほど持ってるので、次はどうしても名誉が欲しいのです。今度はポンペイウスはイタリアで新妻に腑抜けて邪魔してこないので、邪魔者抜きで遠征に出かけられますね。
しかし三頭政治の他の2人のライバルであるカエサル、ポンペイウス共に軍事的成功を収めているのを見て、クラッススは功を焦ってしまいました。
金稼ぎは上手いクラッススでしたが、軍事的な才能など無かったのです。
そもそもパルティアはかなり強敵で、エサルの副官で後に第二回三頭政治の1人となる、ゴリゴリの軍事畑を歩いてきたアントニウスですらパルティアに敗北しています。軍事に疎いクラッススに勝てるはずがありません。
そのためカルラエの戦いにて、戦力差5分の1のパルティア軍に歴史的な大敗北。クラッススも戦死してしまいました。
これにて三頭政治の一角が死亡し、三人で均衡して保っていたパワーバランスが崩れてしまいます。
崩壊する三頭政治体制
カエサルはポンペイウスとの同盟を強化するため、大姪であるオクタウィアをポンペイウスの後妻に宛がおうとしましたが、ポンペイウスはこれを拒否しました。ちなみにこのオクタウィアは、後に初代ローマ皇帝となるオクタウィアヌス(アウグストゥス)の姉です。
クラッススが死に、ガリア戦争でかかりきりなカエサルがローマを離れている今、ローマに残っているのはポンペイウスだけ。
これに目をつけたのが元老院です。ぐへへ。
もともと元老院は、ポンペイウスの部下の兵士たちに、恩賞として土地を与えるのを渋るなどの嫌がらせを行っていました。が、ポンペイウスはカエサルとは違って政治的能力が無く、言ってしまえば「御しやすい」のです。カエサルならば傀儡にできないどころか返り討ちにされるけど、ポンペイウスみたいな単純な人間なら操れるということです。
そこで元老院は、カエサルがガリア戦争で忙しく、ローマに居ない隙をついてポンペイウスと接近し、三頭政治体制から離反させて元老院派に鞍替えさせました。
そしてポンペイウスは元老院派の重鎮の娘クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカの娘と結婚。
ここに元老院の強力な対抗馬となっていた三頭政治体制は完全に崩壊し、カエサル vs 元老院派(ポンペイウス含む)という構図になったのです。
混乱するローマ
しかし強力な指導者が居ないローマでは、民衆派と閥族派がそれぞれマフィアのような組織をこしらえ、あちこちで抗争を行っていました。
この混乱を収めるためにポンペイウスが単独で執政官(コンスル)となっています。
本当は執政官(コンスル)は1年で同時に2人いるので、これがどれだけ特例か分かりますね。元老院は本当は、ポンペイウスを独裁官(ディクタトル)にすることも考えましたが、少し前まで政敵だった彼をそこまで信用できなかったみたいです。
そしてローマ内戦へ
さて、こうして元老院派へと組み込まれたポンペイウス。
こうやって旗色を鮮明にしてしまえば、強硬的な態度を取る限り、どうしてもカエサルと勝負することになります。
そうして必然的にローマ史上最大の内戦の1つである、ローマ内戦が避けられない戦いとして、カエサルと元老院派の間で行われることになるのでした。