【ポンペイウス】何もかも異例なローマの大将軍 part2

執政官(コンスル)就任

執政官(コンスル)選挙出馬

第三次奴隷戦争スパルタクスの反乱を鎮圧したポンペイウスクラッススですが、ここで戦果を上げた両者ともに、ローマの最高官職である執政官(コンスル)選挙に名乗りを上げました。

ポンペイウス

クラッスス

ポンペイウスの適格性

クラッススの場合は既に法務官(プラエトル)の経験があり、出世コース(クルスス・ホノルム)に乗っているのでまあ良いでしょう。

しかしポンペイウスが執政官(コンスル)に名乗りを上げるのは、当時としては異例です。

 

ポンペイウスは財務官(クァエストル)にすらなったことが無く、騎士階級(エクィテス)であって、元老議員議員ですら無かったからです。出世コース(クルスス・ホノルム)の第一歩すら踏み出していない状態です。

こんな状況なのに、厚かましくもローマの元首である執政官(コンスル)選挙に立候補するやつなんて前代未聞でした。

お得意の武力で脅迫

しかしポンペイウスは、今度もお得意の技を使います。軍団を解散せずに、街の外に留め置いて武力で圧力をかけたのです。

ちなみにこの時、ポンペイウスに手柄を奪われたクラッススも対抗して、同じように軍団をローマの城外に留め置きました。

 

またもや武力で脅迫された形の元老院は、両者の執政官選挙への出馬を認めるしかありません。いったん出馬が認められると、民衆からの人気があったポンペイウスと、大金持ちで金をばら撒けるクラッススは圧倒的な集票力を見せます。

そして紀元前70前の執政官となったのは、犬猿の仲のポンペイウスクラッススでした。

クラッススと共に執政官(コンスル)となる

犬猿の仲と言ってもやることはやっていたようで、スッラが骨抜きにしていたホルテンシウス法を復活させ、民衆の代弁者たる護民官の権力を回復させました。

これは元老院を驚かせました。二人は元々既得権益側の閥族派だったはずだったからです。

しかし執政官となった彼らは、閥族派のスッラが行った元老院の権力の強化を解体していったのです。

子飼いの護民官を操る

そして護民官を自分たちの力で当選させ、意のままに操りました。

護民官はこの二人の改革によって権力が復活していたため、実質的に二人がローマの政治を動かすようになります。

 

ポンペイウスはこの護民官を使い、さらなる軍事的栄光のために乗り出しました。

それが海賊討伐です。

海賊討伐

深刻化する海賊被害

このころ、ローマだけではなく地中海全体海賊の被害が深刻化していました。

地中海

海賊が居るので、船を出すと略奪される。そのため貿易が出来ず、食糧がローマに入ってこない。地中海を船で移動しようとすると、攫われて身代金を要求される。などなど酷いものです。

もはや看過できない状況になっていて、海賊が現れた時に個々に叩くことは出来ましたが、海賊は別の場所にすぐに逃げて、もぐら叩きのような状況になり、地中海から一掃することはできませんでした。

ちなみにカエサルもエーゲ海を船で渡っている時に、海賊に捕まって身代金を要求されています。

 

さらに海賊は地中海沿岸の町をも占領し、内陸にまで略奪を働くようになっていました。ここまで来たらもう海賊じゃないな。

こんな酷い治安状況でしたが、この頃のローマは内乱の一世紀であり、内戦ばっかりやっていたため、海賊を討伐することができなかったのです。

ポンペイウスに絶対指揮権(インペリウム)を

そこでポンペイウスは子飼いの護民官に、「ポンペイウスに全地中海とその海岸線沿いに渡って、海賊征伐に絶対的指揮権(インペリウム)を3年間与える」というとんでもない法案を提出させました。

指揮権が認められる際は普通、「どこどこの地域に対する指揮権を与える」とか地域が限定されるものです。しかしこの場合、地中海全体というのが問題です。これは、未だかつて無いような広範囲な指揮権でした。

さらに指揮を預かる軍の規模も問題です、地中海全域の治安回復だからして、ローマ20個軍団だったのです。これは頭おかしいレベルの規模で、ローマの軍のほとんどがポンペイウスの指揮下に入るようなものです。やろうと思えば、この兵力を使って革命を起こし、ポンペイウスがローマの王・皇帝となれるレベルの兵力でした。

 

そのため、元老院議員はさすがにポンペイウスを恐れて反対します。こんな法案が通ってしまえば、あまりにもポンペイウスに力が付きすぎるからです。ポンペイウスの暗殺計画だって出たぐらいでした。

しかしポンペイウスは子飼いの護民官を使って強行的に法案を提出、海賊の被害に困っていた民衆はポンペイウスを支持して法案が可決されました。

 

こうしてポンペイウスは、ローマ史上最大の強大な兵力を、3年間に渡って保持する軍指揮権(インペリウム)を、今度は合法的に保有することができるようになったのです。合法的なのに、これまた異例なのがポンペイウスらしい。

海賊を3か月で征伐

しかしポンペイウスはさらに想像の斜め上を行きます。

なんと、地中海全域に広がっていた海賊を、わずか3カ月で全て征伐したのです。やっぱ頭おかしい。

 

生き残って捕獲された海賊たちは総勢2万人、普通の将軍ならばスパルタクスの乱の時にクラッススがやったように、見せしめとして街道沿いに十字架を並べて磔の刑に処して見せしめとするかもしれません。

しかしポンペイウスは捕まえた海賊たちを、各地域に分散して植民させたのです。

元々海賊の構成員は、軍から逃亡した者や食い詰めた農民たち。だから植民させさせれば、マジメに働くようになるだろうとポンペイウスは考えたのです。実際に彼らはポンペイウスの子分(クリエンテス)の勢力圏に配置され、真面目に働くようになって富を生み出すようになりました。すごいな。

 

こうしてポンペイウスの働きにより、わずか3カ月で今まで蔓延っていた、海上での交通や貿易を阻害していた海賊が一掃されました。

これにはローマだけではなく、地中海の各国が大喜びします。もはやポンペイウスの人気は天を衝く状態であり、ローマだけではなく地中海全体の英雄となりました。

 

さて、ポンペイウスが持っていた絶対指揮権は3年、海賊征伐は3か月で終わってしまいました。

本当ならば海賊征伐を終えたから、目標を達成したために軍団を解散しなければなりませんでしたが、ポンペイウスはいつもと同じく軍団を保持し続けました。

東方遠征

ミトリダテス戦争

この時、東方ではミトリダテス戦争が行われていました。

東方のポントス国王ミトリダテス6世

ローマ軍の指揮官はルキウス・リキニウス・ルクッルスでしたが、兵士たちとの戦利品の分配問題や、長く続いた戦役に疲れた兵士たちは、彼に従うのを拒否し始めます。

そこでこの不人気なルクッルスに代わり、ポンペイウスが代わりに東方のミトリダテス戦争に向かいます。

 

元老院としては、もうポンペイウスの人気が極限まで高まっており、さすがにこれ以上の戦果を上げられて権力が集中してしまい、王にでもなられては困ると思っていたのですが、ポンペイウスを支持する市民たちを恐れてこれを止めることが出来ませんでした。

ハゲタカ

というわけでポンペイウスは軍を率いて東方へと渡り、ルクッルスから指揮権を奪いました。

この時にはルクッルスから相当恨まれたようで、酷い罵り合いをしてハゲタカとすら言われています。しかしこれは根も葉もない悪口とは言えません。

だって、ヒスパニア遠征では元々メテッルス・ピウスが反乱鎮圧に当たっていた時に援軍に行ってハゲタカしましたし、スパルタクスの乱ではクラッススが取り逃した残党狩りを行ってハゲタカ、今度はミトリダテス戦争でルクッルスが長い間ミトリダテス6世と戦って敵が弱って来た時に指揮権を奪ってハゲタカしに来たからです。

 

確かにポンペイウスが居なければ長引いていたり、もしかしたら負けていた戦争もあるかもしれませんが、ポンペイウスは人の手柄を横取りしてしまう強欲な部分もあったのです。

 

しかし、やはりそれでもポンペイウスは有能な武将でした。

25年の長期にもわたって行われた、ミトリダテス戦争を終結させます。

オリエント侵入

ここで調子に乗ったポンペイウスは、なんと小アジアから南下して、オリエントにあるシリアやユダヤに入ります。

ポンペイウスが与えられた指揮権(インペリウム)は、ミトリダテス征伐だったためにオリエントまで勝手に進軍するのはハッキリ言って越権行為でした。

しかしポンペイウスは「シリアとユダヤは政治的に不安定だから、放っておいたら危ないじゃん」とか色々理由をつけて進軍しました。

エルサレム神殿に入るポンペイウス

軍事的才能のあるポンペイウスはオリエントを楽勝で征服して、地中海東沿岸をローマの版図に組み込みます。

今回征服した地中海東沿岸は、これから数百年にも渡ってローマの屋台骨を支える豊かな地域になります。が、これは元々ポンペイウスが越権行為で勝手に征服した土地なのでした。

ポンペイウスのローマ帰還

さて東方を征服し終わって、イタリアへと軍団を率いて帰ってくるポンペイウスでしたが、ローマではこんな噂が流れ始めました。

「ポンペイウスはローマへと帰り、王となろうとしているのだ!」

 

実際これだけ戦果を上げて民衆からの人気があれば、王になろうと思えばなれたでしょう。

その昔スッラが第一次ミトリダテス戦争を終えて東方からローマに帰って来た時、軍を解散せずにローマへと進軍して終身独裁官となりました。

だから王になることは無理でも、ほぼローマの支配者である終身独裁官ぐらいになる前例はあったのです。

 

しかしポンペイウスは、イタリア上陸と共に軍隊を解散しました。

市民たちはこれに驚喜し、各都市を通過してローマへと帰還するポンペイウスを歓呼と共に迎え、その後を続々とついて行きました。

ポンペイウスがローマへと到着した時、彼の後ろにはたくさんの民衆が居ました。軍隊など居なくても、このポンペイウスについてきた民衆だけで、やろうと思えば革命が起こせた、と言われるぐらいの人気でした。

 

それもそのはず、ポンペイウスの東方征服により、ローマの国税収入は5000万ドラクマから8500万ドラクマまでに急上昇したからです。税収70%アップです。

近代に入ってからはヨーロッパなどで産業が発達したために、ヨーロッパの方が豊かというイメージを持ちますが、古代では基本的にオリエントの方が豊かです。暖かいから作物もよく穫れますからね。

ペルシア帝国がギリシアに攻め込んでギリシア連合軍に追い払われた時、残されたペルシア軍の陣幕に入ってその豪壮さに驚いたギリシアの将校たち「こんな貧しい土地に攻めに来て何を取ろうというのか」と言って大爆笑したという記録もあるぐらいです。それぐらい古代では(ヨーロッパから見て)東方は豊かでした。

 

というわけで、そんな豊かな東方までローマの版図に組み込んだポンペイウスは、もはや生ける神、いわゆるゴッドです。

ポンペイウスの3回目の凱旋式はもちろん執り行われ、今まで行われたどんな凱旋式よりも盛大なものが2日間に渡って連続で行われました。これがポンペイウスの人気絶頂期です。

ポンペイウスの3度目の凱旋式

しかしそんな彼の極端な人気を危惧する者たちが居ました。

それが元老院です。

 

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