【女帝エリザヴェータ】ロシアの豪奢な宮廷文化を花開かせた苦労人

女帝エリザヴェータ

誕生

エリザヴェータは1709年、ロシアのツァーリである父ピョートル大帝と母エカチェリーナの間に生まれました。

ピョートル大帝

ピョートル大帝はエカチェリーナと1707年に秘密結婚していて、結婚した夫婦の間の子供は嫡出子とされるのですが、正式な結婚をした時の子供では無かったために非嫡出子(俗にいう庶子)扱いされていました。

両親のピョートルとエカチェリーナは1712年に正式に結婚したため、二人の娘であるアンナ・ペトロヴナとエリザヴェータは晴れて嫡出子となりました。しかし、このエリザヴェータの複雑な生まれが、のちのち面倒な状況を生むことになります。

 

ちなみにピョートルとエカチェリーナの間には、5人の息子と7人の娘が生まれましたが、生き残ったのは上記の2人の娘だけでした。

教育

ピョートル大帝は、利発な娘のエリザヴェータを好んでいましたが、彼にはすでに皇太子のアレクセイが居ましたし、孫息子のピョートル(のちのピョートル2世)も居ました。

ピョートル2世

だからまさか娘のエリザヴェータが皇帝になって政治を行うようになるなんて思わず、帝王教育は受けさせずに、政略結婚のための準備をさせ始めます。

その一環がエリザヴェータにつけられたフランス人の家庭教師で、彼女はイタリア語、ドイツ語、フランス語が流暢にしゃべれるようになれました。これでどこの外国の宮廷に嫁に行ったとしても、言語面で苦労することはありません。

 

エリザヴェータは他には学芸的な勉強はしていませんでしたが、見目も麗しく、身分の上下無く誰とも気さくに話せるような良い皇女だったそうです。

結婚相手探し

父のピョートル大帝はロシアの西欧化に力を入れていたため、自然と結婚相手もその辺りから探されました。

最初は娘をフランス国王ルイ15世に娶らせようとしましたが、エリザヴェータは産まれた時点では非嫡出子だったし、エリザヴェータの母エカチェリーナの出自が農民出の奴隷だったために身分が低すぎて、鼻であしらわれました。

幼いルイ15世を抱き上げるピョートル大帝

じゃあ娘のエリザヴェータはどこに嫁がせようかと考えたところ、エリザヴェータの姉アンナがホルシュタイン=ゴットルプ家に嫁いでいたから、その縁で同じホルシュタイン=ゴットルプ家の一族のカール・アウグストとの婚約が決まります。

しかしこの婚約者のカール・アウグストは結婚式の前に死んでしまい、結婚することはできませんでした。

婚約者カール・アウグスト

父、母、婚約者の死

さらに同じ時期に、母でピョートル大帝の後を継いでロシア皇帝となっていたエカチェリーナ1世も死亡。エリザヴェータは17歳にして父も母も婚約者も失ってしまい、政治的な後ろ盾が無くなってしまいました。

こうなっては誰もエリザヴェータと結婚しようとはしません。政治的に利用価値が無いだけでは無く、むしろ近づくと帝位への野心を表すことになってしまうからです。

ロシア皇帝ピョートル2世と結婚し、皇族であるロマノフの血を濃くして皇室の正統性の強化を図ろうとする動きもありましたが、話は立ち消えとなりました。

女帝アンナ

そのピョートル2世は在位2年半ぐらいで死亡、ロシア皇帝の座はエリザヴェータの従姉妹のアンナに移りました。

女帝アンナ

女帝アンナは従姉妹のエリザヴェータに帝位を奪われるのを恐れ、エリザヴェータも迂闊なことをして女帝アンナを刺激したくなかったため、政治的な言動は控えましたし、結婚もできませんでした。

 

そのためにエリザヴェータは愛人をたくさんつくって無聊さを慰めましたが、近衛を愛人とした時などは、愛人が女帝アンナに舌を切られてシベリア送りにされます。軍の関係者が愛人だったら、クーデターとか起こされちゃうかもしれないですからね。実際に、のちにエカチェリーナ2世がクーデターを起こす時、愛人で近衛軍の将校グリゴリー・オルロフが尽力しましたし。

だから愛人と言っても、農奴だったり身分の低い者ばかりが相手でした。この中には後に「夜の皇帝」と呼ばれ、エリザヴェータの秘密結婚の相手ともなったラズモフスキーも居ます。

「夜の皇帝」ラズモフスキー

 

こうやってエリザヴェータが不遇をかこっていた時、アレクサンドル・メーンシコフだけは彼女のことを皇族の娘として扱いました。不幸な時に優しくされるとホロッと来ますよね。

しかしこのメーンシコフは大貴族のドルゴルーコフ家に失脚させられ、娘の婚約取り消しの上、財産を全て没収されて家族丸ごと僻地に送られました。

このドルゴルーコフ家はピョートル大帝に関わる者は全て目の仇にしており、もちろんピョートル大帝の娘であるエリザヴェータも、その攻撃の対象となりました。実際にロシア宮廷から追放されたりしてます。

 

でもエリザヴェータはそんな逆風にも負けず、来たる日のために根回しを着々と進めていました。

特に近衛の将校とはことあるごとに接触して、関係を深めています。

イヴァン6世と摂政の母后アンナ

女帝アンナが死ぬと、今度は生後わずか2か月のイヴァン6世がロシア皇帝に就き、皇帝の母親であるアンナ(またアンナか・・・)が摂政となって政治を差配しました。

イヴァン6世

母后アンナ

しかしこのダブルアンナの政治は、どちらも外国人であるドイツ人を優遇していたため、ロシア人たちの間には不満が溜まっていました

 

その母后アンナはエリザヴェータに対し、「修道院に送るぞ」と脅してきます。

娘とはいえ、元々はピョートル大帝の有力な後継者であるエリザヴェータは、これにカッチーンと来ました。

無血クーデター

彼女は「ピョートル大帝の娘」であるというブランドを使って、近衛軍と共にクーデターを決行。

この時エリザヴェータはドレスの上に鎧を着て、近衛たちに「お前たちが仕えたいのは誰か。お前たちの正当な君主であるこの私か、簒奪者たちか」と檄を飛ばしました。かっこいい。

クーデターは上手く行き、なんと無血クーデターに成功しました。

 

廃位されたわずか1歳のイヴァン6世は、要塞の監獄の中で幽閉されて育ち、この後エリザヴェータだけではなく、歴代のロシア皇帝たちが「助け出すような動きがあれば殺せ」と衛兵に命じました。元皇帝が助けだされて錦の御旗にされたら、自分の帝位が危なくなりますからね。

このイヴァン6世は、エカチェリーナ2世の時代に救出作戦が試みられ、看守に殺されて23年の人生を終えることとなります。

イヴァン6世の最期

女帝エリザヴェータ

とりあえず人気取り

さて、こうしてエリザヴェータはピョートル大帝の実の娘であるのに次々と他の者に先を越され、父の死後苦節15年の末、30を少し越えた頃にようやくロシア帝国の皇帝になれました。

女帝エリザヴェータ

エリザヴェータはとりあえず、今までダブルアンナがドイツ人を優遇してロシア人に不満が溜まっていたため、政府のポストのほとんどをロシア人に開放。ロシア人がどうしてもできないポストだけに限って外国人にやらせました。

またエリザヴェータは慈悲深く、彼女の治世下で処刑された人物は一人も居ませんでした。これは血で血を洗う権力争いが起こるロシア宮廷では異例です。

こういったことから女帝エリザヴェータに対する人気はうなぎ上り。今でもエリザヴェータは愛される皇帝となっています。

政治

しかしエリザヴェータは、父ピョートルから帝王教育などは受けていません。それに政治経験も今までほとんどありませんでした。だから彼女はピョートル大帝のような大胆な改革を行うことは無かったのです。

でもここで彼女が外交に起用したのが、あの有能な外交官ベストゥージェフです。彼はロシア外交を主導して奇々怪々な欧州情勢を上手く乗り切りました。自分にできないのなら、有能な奴にやらせれば良いんですね。

ベストゥージェフ

花開くロシア宮廷文化

こうして有能な部下に政治を任せている間、彼女が熱中したことはフランスのヴェルサイユのような宮廷文化でした。

彼女はヴェルサイユのように宮廷で豪華な舞踏会や催しをしたりしたため、ロシアの貴族たちは自分の領地では無く宮廷にくぎ付けになりました。

 

これは悪い事だけでは無く、良い事でもあります。

元々フランスでは、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿で豪華な儀礼や催しで貴族たちを領地から宮廷にくぎ付けにしたため、フランスで中央集権が進み絶対王政が確立した面もあるのですから。

エリザヴェータは意図していたのかどうかは分かりませんが、フランスと同じような効果を出すことに成功したのです。しかもそれほど強い反発も無くです。

 

こうしてそれまでロシア貴族たちの共通語はドイツ語だったのが、優雅なフランス語に代わります。

そしてロシアでは女帝エリザヴェータの下、宮廷文化が花開いたのです。

ジャブジャブ使われるお金

だけどこういう豪奢なことをしていれば、当然金がかかります。

エリザヴェータの浪費は尋常では無く、彼女が死んだ時にはドレスが15000着、靴が数千足のこされていました。

また彼女は同じドレスは二度と着ないし、1日に何度も着替えましたそりゃお金かかりますよね。

もちろん他の貴族たちもエリザヴェータを見習い、同じように着飾らなければなりません。衣服は富と地位を象徴するものだから、手を抜けません。

オシャレのし過ぎも許さん

こうしてロシアをオシャレにした女帝エリザヴェータですが、余りにもオシャレしすぎて部下が自分よりも目立つことは許しませんでした。

自分と同じ髪型や服装をすることを許さず、流行の最先端であるフランスの服飾商人は、エリザヴェータに一番最初に服を売らなければならないという法律もあります。

 

美術史家のタマラ・タルボット・ライスはこうして女帝の行動を、エリザヴェータの人生後期の怒りは、ロシアの安全保障を脅かすと見られた者と、自身の美しさに張り合おうとする女性に向けられたと書いているほどです。

「周りの者が粗野な服装をするのはイヤだけど、私よりも美しくなっちゃダメ!」という複雑な乙女心だったのでしょう。

さらに使われるお金

こんな風に服を揃えて、催しものをするのに必要なものと言えば・・・そう、場所(建築物)です。

エリザヴェータはお気に入りの建築家バルトロメオ・ラストレッリを使い、金を惜しまずにバロック様式の宮殿を建てまくりました。

ツァールスコエ・セローの女帝エリザヴェータ

 

エリザヴェータの宮廷ではこんな風に、演劇、音楽、(仮面)舞踏会などで持ち切りになり、貴族たちも女帝に倣って娯楽を重要視しました。

とまあ湯水のように金を使ったため、農奴は搾取された上に、国の財政はかなり悪化しました。

 

でもエリザヴェータは帝国アカデミーモスクワ大学の設立に尽力し、教育や芸術を振興も行いました。

後継者ピョートル

さて、エリザヴェータは未婚で子供が居なかったため、ロマノフ王朝を確固たるものにするためには後継ぎが必要でした。

そこで姉の息子であるピョートル(のちのピョートル3世)を後継者として指名し、ロシアに連れてきます。

ピョートル

ピョートル一人だけではもちろん子供ができませんから、プロイセンのフリードリヒ大王に嫁探しをさせて、ドイツからピョートルの嫁エカチェリーナ(のちのエカチェリーナ2世)を連れてきます。

エカチェリーナ(ゾフィー)

このエカチェリーナの母親のヨハンナは、ホルシュタイン=ゴットルプ家の人間で、女帝エリザヴェータが若い頃、結婚式の前に死亡した婚約者の妹だったという縁もありました。世間って狭いですね。

 

このエカチェリーナとピョートル夫婦はすごく夫婦仲が悪く、中々子供が生まれなかったために女帝エリザヴェータがロマノフの血を引くロシア人貴族の愛人をエカチェリーナに当てがって子供を産ませたという話がありますが、真偽は定かではありません。

そのお陰かどうか、エカチェリーナはようやく結婚8年目で子供のパーヴェル(のちのパーヴェル1世)を産み、エリザヴェータはこの子供を実の母のエカチェリーナから取り上げ、未来の皇帝として溺愛しました。

パーヴェル

そもそもエリザヴェータは、甥のピョートルにあんまり期待していなかったため、このパーヴェルを後継者にしたかったのです。

七年戦争

ロシア国内がこのようになっていた頃、ロシアの西の方ではオーストリアとフランス、プロイセンとイギリスが同盟を組んで睨み合っていました。

ここでロシアはオーストリアの側に付きます。というのも、イギリスとプロイセンの同盟はロシアに対する脅威に思えたし、何よりもエリザヴェータは個人的にプロイセン王のフリードリヒ大王が嫌いだったからです。

フリードリヒ大王

だから隣国のプロイセン王を、無害な選帝侯の地位に落とそうと戦争に参加しました。この戦争は七年戦争と呼ばれます。

 

プロイセンは立地的にオーストリア、ロシア、フランスに囲まれて絶体絶命。そりゃ3正面で戦争しなきゃいけないなんて、いくら指導者が戦上手でも無理です。

プロイセン王のフリードリヒ大王はとても戦争が上手だったのですが、やっぱり多勢に無勢で段々と押され始め、滅亡寸前の状況にまで追い込まれます。

 

しかしここで劣勢のプロイセンに奇跡が起こりました。

ロシアの女帝エリザヴェータが崩御したのです。

エリザヴェータ死後

エリザヴェータの後を継いだのは、彼女の甥であるピョートル3世

彼はもう少し押せばプロイセンを倒して戦争に勝てる状況にも関わらず、プロイセンと講和を結び、さらには占領地を無償で返還し、さらに昨日まで敵だったプロイセンと同盟を結んで援軍を送りました。

なんでこんなことをしたのか?ピョートル3世はフリードリヒ大王のファンだったからです。

 

しかし、ロシア軍は今まで多数の犠牲を出して戦争を有利に運んでいたのです。新しい皇帝にこんなことをされたら軍部はブチ切れです。

というわけでピョートルは在位半年で嫁のエカチェリーナにクーデターを起こされ、失脚してしまうのでした。

 

このエカチェリーナ2世の治世の後は、エリザヴェータが溺愛していたパーヴェルパーヴェル1世としてロシア皇帝に即位しましたが、これまたクーデターによって暗殺されることとなります。

パーヴェルの暗殺

 

甥のピョートル3世

【ピョートル3世】半年で失脚したロシアの皇帝

ピョートルの嫁のエカチェリーナ2世

エカチェリーナ2世(大帝)目次

 

人物伝 目次

 

関連書籍