エカチェリーナ2世(大帝)part 4

ポチョムキン

プガチョフの乱も片付いたところで、エカチェリーナはプガチョフの乱の鎮圧に貢献した軍人、グリゴリー・ポチョムキンに夢中になりました。

グリゴリー・ポチョムキン

 

この人の名前を取って、ロシアの戦艦・ポチョムキンとかもできたぐらい有名な人ですね。プリンツ・オイゲンとかもオーストリアの将軍だし、ヨーロッパでは偉人の名前を軍船につけることが多いです。

まさかそのせいで、遠く離れた極東アジアの国ジパングで、将来ゲームキャラとなり女体化させられるとは、本人も思わなかったでしょう。

 

ポチョムキンは既に愛人だったアレクサンドル・ヴァシーリチコフを女帝のベッドから追い出し、遂にはエカチェリーナと秘密結婚を挙げるほどの寵愛を勝ち取りました。

 

ポチョムキンとかスモレンスク県の中小地主貴族出身ですから、さすがにロシア皇族となるには家格が違いすぎて公には結婚できませんでした。

ちなみにエカチェリーナは、クーデターが成功した時にグリゴリー・オルロフとも結婚しようと動きましたが、その時も周りの反対に合い、断念しています。

まあ愛人をとっかえひっかえしてるんだし、結婚しなくても良かったとも言えます。

 

エカチェリーナは昔の愛人を追い出す時、たくさんの土地やプレゼントを渡して追い出すので、あと腐れも無く追い出すことが出来、エカチェリーナの周りには愛人になろうと、様々な男たちがうようよ寄っていたみたいですね。

ちなみに愛人になっている間も農奴付きの土地や権力付き役職など振舞ってくれます。

でも愛人がいる時でも、「んー、今日は別の男にしよ♪」と何人とも同時に関係を持っていました。

エカチェリーナの恋愛癖は死ぬまで変わることは無く、60歳を過ぎても美男子と夜のアヴァンチュールを楽しんでいたそうです。

 

この新しい愛人のポチョムキンは、エカチェリーナとの肉体関係が無くなった後も、女帝の側近として仕えます。

新しい愛人とかも、忙しい女帝の代わりにポチョムキン自身が美男子を探して調達してきて、エカチェリーナのベッドに送り込んでいたそうです。

フランスのポンパドゥール夫人とルイ15世みたいな関係ですね。

エカチェリーナは、ポチョムキンのお陰で夜も男たちとハッスルすることができ、英気を養って政務に励むことができました。

 

イヴァン6世の救出失敗

さて、そんな性の乱れたエカチェリーナを見て、危機感を持ったのが、軍人のヴァーシーリ・ミローヴィチです。

彼は一滴もロシア人の血が流れていない、ドイツ人の女帝エカチェリーナを「皇位簒奪者」と考え、幽閉されていたイヴァン6世を助け出そうとします。

大分前にエリザヴェータに幽閉されてた人ですね。

イヴァン6世

 

生後2か月で帝位に就き、すぐにエリザヴェータにクーデターを起こされて幽閉され、そのまま24年間監禁生活をしていました。

彼はロシア皇室のロマノフの血統だからドイツ人のエカチェリーナよりも、皇位継承の正統性はあったわけですね。

 

このイヴァン6世を守っている守備隊は、女帝エリザヴェータ、皇帝ピョートル3世、そして現ロシア女帝エカチェリーナ2世から、代々こんな命令を受けていました。

「イヴァン6世を助け出すような動きがあれば、即刻殺せ。」

 

 

というわけでミローヴィチが救出しに行った時には、イヴァン6世は既に看守に殺され、死体となっていました。

そこでミローヴィチは降伏し、捕まり、処刑されて死にました。

 

イヴァン6世が救出されれば、エカチェリーナの玉座も危ない所でしたが、これで目の上のたんこぶが一つ消えてくれたのでした。

あと生きてて皇位継承の正統性があるのは、息子のパーヴェルぐらいです。

パーヴェル

 

アレクサンドル誕生

1777年、その息子の皇太子パーヴェルと、嫁のマリア・フョードロヴナとの間に、待望の孫・アレクサンドルが誕生しました。

アレクサンドル

 

これにエカチェリーナは大喜び。

さっそく嫁のマリアから孫を取り上げて、女帝エカチェリーナ直々に帝王教育を施します。

このアレクサンドルが、後にナポレオンと対決することとなる、ロシア皇帝アレクサンドル1世になります。

 

ちなみに、このアレクサンドル1世を産んだ、息子パーヴェルの嫁マリアもドイツ人で、さらに孫のアレクサンドル1世の嫁もドイツ人です。

だからロシア皇室って、大分ドイツ人化してたんですよね。

 

エカチェリーナは、この孫のアレクサンドルを、とても可愛がり、利発だったこともあって、息子パーヴェルを飛ばして、孫のアレクサンドルをロシア皇帝にしようとしてました。

ということもあって、エカチェリーナと息子パーヴェルの仲は冷え切り、パーヴェルはいつ母に暗殺されるか、ビクビクしながら過ごしてたみたいですね。

 

殺すまでは行かないとしても、宮廷内で親子の権力争いやるのは、ロシアに限らずどこの国でも良くあることです。

 

露土戦争 (1787年-1791年)

さて、プガチョフの乱の時に戦っていたオスマン帝国との戦争で、ロシアは念願の不凍港である黒海沿岸を手にしてました。

ロシアでは寒い所ばかりで、冬は海が凍るから、凍らない港を得るのは国家的な悲願なのですね。

ここでエカチェリーナは仲良しのヨーゼフ2世と密約を結び、バルカン半島をロシアとオーストリア二国で分けようと画策します。

ヨーゼフ2世

 

エカチェリーナはコンスタンティノープルをオスマン帝国から奪取し、東ローマ帝国を再建して、孫のコンスタンチンを皇帝にすえるつもりなのでした。

息子のパーヴェルとマリアの間には、もう次の孫ができてたのです。

 

というわけで、ロシアは南下政策を進めるため、オスマン帝国から独立させていたクリミア・ハン国を併合。

そして愛人であり、有能な側近でもあるポチョムキンに、クリミアの入植活動を進めさせました。

さらにポチョムキンは、クリミアにセヴァストポリ要塞を築き、黒海艦隊を建造します。

 

これに激怒したのはオスマン帝国です。

元々属国だったクリミア・ハン国がロシアに併合されてしまい、さらにクリミア半島に橋頭保まで築かれてしまったのです。黒海に艦隊を建造するとか、喉元に剣を突き付けられたようなものです。

 

というわけでオスマン帝国はロシアに宣戦布告、戦争が始まりました。

 

しかしあっちからケンカを吹っ掛けてきてくれて、エカチェリーナヨーゼフ2世もシメシメとほくそ笑みました。

「俺も行くぞー!」と仲良しのヨーゼフ2世率いるオーストリアも、この機会に乗じてオスマン帝国に攻め込みます。持つべきものは友達ですね。

 

この時、名将スヴォーロフのお陰でロシア軍は連戦連勝しますが、総司令官のポチョムキンと仲が悪く、更迭されてたりします。

スヴォーロフ

 

そして1791年、ヤッシーの講和で、オスマン帝国から黒海沿岸の地域を分捕ることができたのでした。

 

ポチョムキンの死

さて、ヤッシーの講和が決まる直前に、ポチョムキンは亡くなっていました。

秘密結婚の相手であるポチョムキンの死の報を聞いたエカチェリーナは、「私一人で、この広大なロシアを統治しなければならないのか!」と嘆いたそうです。

でも、もうこの頃にはプラトン・ズーボフという別のお気に入りの愛人が居て、彼に夜にベッドで慰めてもらいました。

プラトン・ズーボフ

 

このズーボフ、エカチェリーナに大層気に入られておりましたが、エカチェリーナが60過ぎに対して、ズーボフは20代。

それでもエカチェリーナはズーボフに首ったけで、重要な役職に就けたり、土地をあげたり、農奴をあげたりして、かなり貢ぎました。

 

彼は、ここからエカチェリーナが死ぬまで貢がせて私腹を肥やし、政治にも大きな影響力を持っていました。

政治にも口を出せるので、賄賂もガッポガッポ入ってきました。やっぱ権力者の愛人は良いですね。

 

しかしエカチェリーナの死後、息子パーヴェルがロシア皇帝になると、財産を全て奪われ、国外追放の身となります。

エカチェリーナの生前にふんぞり返ってたので、彼女が死んでしまうと、誰も味方してくれなかったそうです。驕れる者も久しからず、ですね。

 

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