金拍車の戦い

背景

金拍車の戦いは、1302年7月11日にコルトレイクで起こった戦いです。

この戦いは、民兵が、当時無敵だった騎士である重装騎兵を破った、歩兵革命の先鞭をつけた歴史的な戦いなのですが、日本ではあまり知名度がありませんね。

 

戦いが起こった背景を順に説明して行きましょう。

当時、フランドルは毛織物産業が発達し、ヨーロッパの中でも特に豊かで有名な地域でした。フランダースの犬の舞台でも有名ですね。

 

あれはベルギーの人じゃなくて、イギリス人が書いた小説が原作らしくて、ベルギーでは原作の知名度が全く無く。

なんで日本人が観光に来てるのか、分からなかったとか言う話もあったそうですね。

日本人の観光客が増えたから、銅像つくったらしいですけど。

 

さて、このフランドル地方は、イングランドから羊毛を輸入して、それを毛織物にして輸出する豊かな地域でした。

そして、豊かな地域は、いつも誰かに狙われます。

 

フランドルは概念上はフランス王国の一部でしたが、実際は前述の通り、羊毛を輸入しているイングランドとの関係の方が深かったのです。

だからフランドル伯領は、一種の独立国的な立ち位置に立っていました。

赤:フランス 緑:イングランド 青:フランドル

 

 

そんな時、フランドル伯ギーが、自身の娘をイングランドの王太子に嫁がせようとします。

野心溢れるフランス王フィリップ4世が、これを見逃すわけがありません。

フィリップ4世

 

フランス王フィリップ4世は、弟のヴァロア伯シャルル率いる軍を派遣します。

当初イングランドは、フランドルと共にフランス軍を迎え撃とうとしていました。

しかし、イングランドは勝手にフランスと単独で講和して、フランドルから去ります。

 

フランドルはフランス軍に占領され、フランスに併合されました。最初はフィリップ4世自ら乗り込んで政治するほど、ノリノリだったみたいですね。

フィリップ4世はジャック・ド・シャティヨンをフランドル総督に任命して、フランドルを去りました。これがいけなかった。

彼はフランドルで圧政を敷き、民衆の反乱を招いてしまうのです。

 

1302年5月18日夜、ブルージュにて反乱が起きます。

フランス軍の駐留部隊は、フランドルの民兵組織に虐殺されました。

 

フランス王フィリップ4世としても、せっかく手に入れたフランドルを失うわけにはいきません。

彼は、アルトワ伯ロベール2世を派遣し、反乱の鎮圧にあたらせました。

こうしてフランドルの都市連合軍と、フランス軍の間で起こったのが、歩兵革命の先駆として名高い、金拍車の戦いです。

 

戦力

戦力差は、フランドル軍が市民兵の歩兵9400に対し、フランス軍が歩兵5500・騎兵2500ですね。

5500人のフランス軍歩兵の内訳は、パイク兵1000、クロスボウ兵1000、それと普通の歩兵3500だったようです。

 

やっぱりフランス軍の騎兵が目立ちますね。

当時騎兵1ユニットは、歩兵10ユニットと同戦力だと信じられていたみたいです。フランス軍の騎兵は2500だから・・・単純に10倍したら2万5千ぐらいの戦力ですね。

だから当時の基準としては、とうてい勝てない戦力差だったのです。

 

フランドル側の市民兵は、ほぼすべてが歩兵ユニットでしたが、軍事訓練は受けていたようです。

今よりも物騒な世の中ですからね。さすが裕福な土地柄らしく、装備も充実していたみたいですね。

鋼の兜とか、チェインメイルとかを防具に、槍とかパイクとかクロスボウ。あとは槍の先にこん棒がついたみたいなやつで、武装していたみたいです。

民兵って言っても、丸腰ではなかったんですね。

 

戦闘

フランス軍がフランドルの市民兵たちと接敵した時、コルトレイクにあるフランスの守備隊がいる城を包囲していた所でした。

青;フランドル兵 赤:フランス軍

 

城の戦力は、守備隊として350人ぐらい残っていたようです。

ですが、城の出入口の方を市民兵たちに抑えられており、金拍車の戦いには関係しなかったようですね。

 

フランドルの市民兵たちは、フランス軍がもうすぐやって来ると知らされており、対策を打っていました。

川から水を引いて濠のようなものをつくったりして、地面をぬかるませ、騎兵の運用を困難にしたみたいです。騎士が一番の脅威でしたからね。

 

さて、最初はクロスボウの撃ち合いから始まって、歩兵同士が激突します。

この歩兵同士の戦いは、フランス軍が優勢だったようです。

 

ここで、フランス軍のアルトワ伯ロベール2世は、一気に勝負を決めようと、歩兵を下がらせ、騎兵で突撃をさせます。

この戦い以前で、騎士の重騎兵突撃で、敵の歩兵戦列を突破できなかった戦いは無かったからですね。

重装騎兵の突撃=勝利だったんです。民兵の歩兵ごときに、騎士が負けるわけないと思われていました。

 

というわけで騎士である重装騎兵が突撃。

フランス軍の司令官、アルトワ伯ロベール2世は勝利を確信したことでしょう。

しかし、道が泥でぬかるんでおり、重装騎兵の突進力が上手く乗りませんでした。

金拍車の戦い

 

それにフランドルの市民兵たちは、槍衾みたいなのをつくって、上手く騎士を落馬させていったみたいです。

ぬかるみに脚を取られて落馬したり、槍で突き落とされて落馬した騎士たちは、その鎧の重さで泥の中でのたうち回り、自力では起き上がれなかったみたいです。

重装騎兵の鎧って、それだけで数十キロありますからね。平地でも落馬したらキツイのに、泥の中だとそりゃ起き上がれないでしょう。

フランドル側の事前の準備が、かなり有効だったんですね。

 

アルトワ伯ロベール2世は焦ってフランス軍の予備の騎兵も突撃させ、フランドル軍の戦列にも穴が開いた所はあったみたいですが、フランドルの市民兵たちは、戦線を突破されたら、後ろに控えていた予備隊が突破した騎兵を取り囲んで、ぶち殺したみたいです。

突破するなら一気にやらなきゃダメですね。

 

フランス軍は自身の敗勢を見て、逃亡しました。

フランドルの市民兵たちは、追撃して、たくさん首級を上げたそうです。

どんな戦闘でも、追撃が一番狩り時ですからね。

 

アルトワ伯ロベール2世はフランドル軍に捕まった時、命乞いをしたそうですが、

『フランス語は分からんなあ』って言われて殺されたそうです。

 

基本的にこの中世の時代、騎士同士の戦いでは、普通は生け捕りにして、身代金を要求したりするのが戦場の騎士道でしたが、フランドル軍は騎士ではないので、捕まえたら片っ端から殺していきました。

 

戦場には、騎士たちが落とした金の拍車がたくさん残っていました。

拍車とは、足のかかとにトゲトゲがある堅いものを装着して、それを騎乗している馬の脇腹に突き刺して、合図を送る装備です。拍車をかけるという言葉がありますが、あれもこの拍車が由来です。

中世ではこの拍車は騎士の象徴でした。騎馬は騎士の特権ですからね。

 

フランドル軍は勝利の記念に、教会にこの金の拍車を飾り、金拍車の戦いと呼ばれるようになるのでした。

 

その後

しかし、この戦いに負けた後も、フランスは王の威信をかけ、フランドル伯領と戦います。

そしてアティス=シュル=オルジュ条約で、実質的にフランスの勝利に終わりました。

 

しかし金拍車の戦いによって、当時最強とされていた重騎兵の騎士も、やり方さえ考えれば歩兵でも倒せると、広く知られるようになります。

その後さまざまな戦いで、歩兵が重騎兵を打ち破るようになり、職業軍人たる騎士の地位が低下していって、歩兵革命が起こるのでした。

 

ちなみにベルギーの一部地域では、この金拍車の戦いが起こった7月11日をフランスからの独立を維持した記念日として、祝日となっています。

このフランドルの市民兵たちの指導者として、肉屋のヤンと、織布工のピーターがフランドルの英雄とされ、ブルージュのマルクト広場には、二人の銅像が今も建っているのでした。

 

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