背景
第1回三頭政治
ローマ共和制末期、ローマの政治は3人の実力者によって動かされていました。
政治力のカエサル、軍事力のポンペイウス、経済力のクラッススです。
これが名高い第1回三頭政治ですね。
しかし、未だに元老院の権力は根強く、この三頭政治体制と元老院は対抗状態にありました。
なぜ共和制を愛したローマが、三頭政治のような寡頭政治体制を許したのでしょうか?
ローマが小さかった頃は元老院が絶大な権力を持ち、共和制で国を運営することに問題はありませんでした。
しかし、ローマが強くなって支配地域が増えるに従い、貧富の格差や階級の固定化が進み、有力者たちは自分の子分(クリエンテス)にしか利益をもたらさなくなりました。
さらに、政治を行う元老院議員に対する賄賂などの汚職が横行。ローマの共和制は限界を迎えていたのです。
ですから、ローマがあれほど嫌いだった君主制に近い体制も許されたわけです。
しかし、この三頭政治体制にもヒビが入り始めます。
まずは、ポンペイウスの所に政略結婚として嫁がせていた、カエサルの娘ユリアが産褥によって亡くなってしまったのです。
結婚当時ポンペイウス47歳、カエサルの娘ユリアは24歳という歳の差婚でしたが、夫婦仲はとても良く、ポンペイウスは新妻に首ったけだったようですね。
しかし、そんな愛しい妻が死んで、母が命を懸けて生まれた娘もすぐに死んでしまい、ポンペイウスとカエサルの間にヒビが入り始めます。
さらに三頭政治の一角である経済力のクラッススが、パルティアに遠征に行って戦死しました。
一方のカエサルはガリア戦争でガリア全土(今のフランスの辺り)を征服、今までは借金まみれだった「ハゲの女たらし」が、一気に力を蓄えました。
ちなみにこの時、カエサル自らがローマ本国への戦況報告として書いた「ガリア戦記」はラテン語の名文とされ、教科書としても使われているほど有名です。
さて、カエサルが一気に力をつけて焦ったのは元老院とポンペイウスです。
両者は接近してポンペイウスは元老院派になりました。
こうしてカエサル vs 元老院という構図が生まれたのです。
賽(さい)は投げられた
元老院はポンペイウスと共謀し、カエサルのガリア総督の任期が切れたことを理由として、ガリアに留まるカエサルに対して軍団の解散とローマ本国召還を命令しました。
しかしカエサルはこの命を呑めません。軍団を解散してローマに入ったら、捕まって、最悪殺されることが目に見えていたからです。
中々帰ってこないカエサルに対し、元老院は最終兵器を使います。
それが元老院最終勧告(セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム)でした。
これは、この勧告に従わないと国家の敵、反逆者とみなされる元老院伝家の宝刀でした。
そこでカエサルは軍団を率い、ルビコン川までやって来ます。
当時ルビコン川がガリアとローマの境界とされており、ローマに軍団を率いてルビコン川を渡ることは、国家への叛逆とみなされました。
だから、カエサルはルビコン川を渡る前に、軍団を解散しなければならなかったのです。
しかし、軍団を解散して丸腰でローマに帰ったら、いくらガリアを征服した英雄のカエサルでも命の保証はありません。
カエサルは決意をし、軍団と共にルビコン川を渡りました。
ここからローマ内戦が始まります。
カエサルはルビコン川を渡った後、自分の軍に向かってこう言いました。
『さあ進もう。神々の示現と卑劣な政敵が呼んでいる方へ。
賽(さい)は投げられた。』
ローマ皇帝伝 スエトニウス (著), 國原 吉之助 (翻訳)
これに驚いたのは元老院とポンペイウスです。まさかカエサルが軍団を率いて、ルビコン川を渡ってくるとは思いませんでした。
ポンペイウスは自分についてくる元老院議員と共に、自身の勢力基盤であるギリシアに逃げ、力を蓄えることとしました。
ちなみにヒスパニアも彼の勢力基盤で、そこには彼の子飼いの軍団が居たのですが、豊かで戦略上優位な東方に逃げることにしたみたいですね。
ローマ内戦
ローマ内戦勢力図 赤:カエサル 青:元老院
さて、この時点でのローマ内戦は、大体の人がポンペイウスが勝つだろうと思っていました。
というのも、今ではラテン語でカエサル、ドイツ語でカイザー、ロシア語でツァーリといえば、「皇帝」を意味する称号です。
しかし、当時カエサルと言えば、ガリア戦争でも勝ったり負けたりの、女たらしのハゲでした。
翻ってポンペイウスは、この時点で常勝無敗の将軍であり、戦争でただの1度も負けたことがありませんでした。
だから元老院議員はたくさんポンペイウスについて行きましたし、ポンペイウスも「自分について来ない者は敵とみなす」と豪語していました。
しかしカエサルは「自分の敵でない者は味方だ」と懐の広さを見せました。
さて、逃げたポンペイウスを早速追いかけたい所ですが、追いかけている時に背後から攻撃されると厄介ですよね。
というわけでポンペイウスを追いかけてギリシアに渡る前に、ヒスパニアとマッシリアを攻略しました。
これで背中の心配をせずにギリシア攻略ができます。
しかし、アドリア海の制海権が取られていたため、ギリシアに渡れなかったのです。
このままだと、ポンペイスが豊かな東方の地で力を蓄えてしまいます。
そこでカエサルは隙を突いてアドリア海を渡り、ギリシアに上陸しました。
冬のアドリア海は荒れるから、普通は船を出さず、元老院派の海軍を指揮していたビブルスも冬の間は船を出して警戒していなかったのです。
しかし、カエサルがアドリア海を渡ったことから、ビブルスはアドリア海の監視の目を強めました。
というわけでカエサル軍の補給物資は中々来ません。
軍隊で一番重要なのは補給です。腹が減っては戦はできません。
戦上手のポンペイウスも同じことを考え、あえてカエサルとの決戦を避け、兵糧攻めにすることにしました。
これなら負ける心配も無いし、放っておくだけで相手が弱っていきますから楽ですよね。
というわけでポンペイウスは、デュッラキウムに本拠を移して防備を固めました。元老院派は制海権を握っているため、物資は海から船で補給できました。やはり制海権は大事ですね。
一方カエサル軍は、早く戦って勝負をつけないと飢え死にしてしまうので、ポンペイウスの軍よりも兵士の数が少ないにも関わらず、これを包囲。
しかしいつまで経ってもポンペイウスは、カエサルと戦おうとはしませんでした。
ここでカエサルの軍に内通者が出て、カエサル軍の包囲網の弱点を、ポンペイウス率いる元老院派の軍に密告しました。
この包囲網の穴を突かれたカエサル軍は敗走、しかしポンペイウスはこれを追撃しませんでした。
あまりにも堂々とした勝ちっぷりだったので、「これはカエサルの罠ではないか?」と疑ったそうです。でも実は本当に敗走していただけでした。
まあポンペイウスはこの時点でリスクを冒す必要なんてありませんから、仕方ないでしょう。相手の方が兵力が少なく、補給もこちらの方が有利なわけですから。
というわけでカエサルはテッサリアの平原に撤退。
ポンペイウスは、このまま放っておけばカエサル軍は補給も無いので、前と同じく飢えて弱らせることにしようと思っていました。
しかし、これに元老院議員や子飼いの部下たちが猛反対します。
彼らは、「俺、この戦いに勝ったら、あの官職に就くんだ」などと捕らぬ狸の皮算用をして楽勝ムードを出します。
そして慢心し、「はよ決戦しろ!」と下からポンペイウスを突き上げたのです。
こうして、ポンペイウスはしなくても良いカエサルとの決戦をする羽目になります。
このような流れで紀元前48年8月9日にテッサリアの平原で起こったのが、ファルサルスの戦いです。
戦力
カエサル軍
歩兵 20000
騎兵 1500
ポンペイウス軍
歩兵 40000
騎兵 7000
戦闘
カエサル軍:赤 ポンペイウス(元老院派)軍:青
これが布陣図です。
兵数ではポンペイウス軍の方が多かったですが、兵士の質はカエサル軍の方が上でした。というのも、ポンペイウス軍は新兵ばかりであり、カエサル軍は歴戦の兵揃いでしたからね。
さて、この布陣を見てポンペイウスが目指したもの、それは片翼包囲からの鉄床戦術でした。
ポンペイウスは騎兵同士での戦闘に勝ち、カエサル軍側面と背面から包囲攻撃するつもりでした。
しかし、このポンペイウスの目論見は外れることとなるのです。
実際の戦闘経過を見て行きましょう。
まずはカエサル軍が突撃します。
しかしポンペイウス軍の歩兵は動いていませんでした。
というのも、ポンペイウスは自分の軍が練度で劣っていることを知っており、敵歩兵が突撃してきて疲れたところを攻撃するつもりだったのです。
しかしカエサル軍の方は、さすがは熟練兵と言うべきか、敵歩兵が動かないところを見るや、突撃を止めて戦列を整えました。
ここから歩兵は槍投げでの戦いに移ります。
次に騎兵同士の戦闘が正面からぶつかって始まりましたが、カエサル軍の騎兵は数が少なく敗走。自軍第3戦列の裏に逃げ出したのを、ポンペイウス軍騎兵が追撃しました。
すると第3戦列の後ろに待機していた伏兵の重装歩兵が登場。
これはカエサルが対騎兵に選んだ最精鋭部隊でした。
彼らは投げ槍を投げずに、ポンペイウス軍騎兵の頭を狙うように事前に支持されています。
これにはたまらずポンペイウス軍騎兵は逃走。
この重装歩兵がポンペイウス軍の側面を攻撃しました。
というわけで、ポンペイウス軍は片翼包囲しようと思ったら、逆に片翼包囲されてしまったのです。
ここで今まで後ろに控えていたカエサル軍の第3戦列部隊が投入され、これがダメ押しとなり、カエサル軍の勝利となりました。
その後
初めて戦争で敗北を喫したポンペイウスはエジプトに逃れますが、カエサルを恐れたエジプトに暗殺されます。
届けられたポンペイウスの首を見たカエサルは、涙を流したそうです。諸行無常。
このファルサルスの戦いによって大きな趨勢が決まり、ローマ内戦はカエサルの勝利に終わりました。
その後カエサルは終身独裁官として自身に権力を集中させますが、大規模な粛清などは行わず、敵方に回っていた元老院議員たちも許して元の官職に就けました。
しかし、「カエサルはローマを君主制にしようとしている」とローマの共和主義者たちは危機を感じ、カエサルをポンペイウス劇場で暗殺しました。
この時、暗殺者の中に腹心のブルータスが居たのを見たカエサルが叫んだ、「ブルータス、お前もか」という言葉はとても有名ですね。
カエサルはライバルであり、三頭政治を行った仲間でもあった、ポンペイウス像の下で息を引き取りました。
カエサルの遺言には、当時無名だったオクタヴィアヌスを自分の後継者として指名すると書かれていました。
このオクタヴィアヌスがカエサルの遺志を引き継ぎ、共和制ローマを帝政へと導き、初代ローマ皇帝アウグストゥスとなるのです。