背景
フランス王国の王シャルル4世は、男児を遺さずに死亡し、約350年フランス王国を統べていたカペー朝は断絶しました。
フランスの宮廷では、カペー家の支流で男系子孫であったフィリップ6世をフランス王とし、ここにヴァロワ朝が開きます。
しかし、当時のイングランド王エドワード3世は、自分の母親がフランスの王女であったことから、「俺にもフランス王位を請求できる権利がある!」とフランス王に宣戦布告しました。
こうしてフランス王国vsイングランド王国の百年戦争が始まったのです。
ちなみに戦争が始まる前、イングランド王はイングランドの王様ですけど、フランス王の臣下でもありました。ややこしいですね。
1346年、イングランド軍はフランスにノルマンディーから上陸。
これに対しフランス王フィリップ6世は、サンドニに大軍を集結させます。
フランス軍のこの動きに気づいたイングランド軍は、有利な地形でフランス軍を迎え撃とうと、クレシーの地にて陣地構築をして待ち受けました。
こうして1346年8月26日、百年戦争でも有数の決戦となったのがクレシーの戦いです。
戦力
イングランド軍のロングボウ部隊
イングランド軍 14000(騎士2500、ロングボウマン(長弓兵)5000、軽騎兵3000、槍兵3500、オルガン砲5)
フランス軍 20000~30000
イングランド軍には、王が育成した多数のロングボウマンが居ました。
このロングボウマンは日本の和弓のように長い弓を装備しています。長弓は速射性は短弓には劣るものの、威力・射程に優れています。
初期のマスケット銃よりも、ロングボウの方が威力が強かったぐらいですからね。
ちなみに長弓は扱いが難しいため、普通は歩兵が使います。
日本の武士のような、騎馬上で重装備して長弓を使いこなすなんていう戦闘民族は、世界中を探してもそうそう居ません。
人馬一体であるモンゴル軍だって、弓騎兵が使うのは短弓ですしね。
でも、ロングボウを使いこなすのには熟練した技が必要で、筋肉ムキムキじゃないと弓も引けないので、使いこなすのにかなりの訓練が必要でした。
イングランド軍のロングボウマンは、自営農民(ヨーマン)に給料を与えて育成していたみたいですね。
このロングボウは、戦場で毎分最大6発ぐらい射撃できたそうです。
フランス軍のクロスボウ部隊
一方フランス軍に雇われた、ジェノヴァ人傭兵部隊の弓兵はクロスボウを使っていました。
クロスボウは機械式の弓なので、膂力も要らずに簡単な訓練で撃てるようになりますが、矢をつがえた後にハンドルを巻いて弓を引かなければならないので、射撃速度は1~2分に1回ととても遅いという弱点がありました。
ですが訓練があまり必要ない、促成栽培できるということで傭兵は一般的にクロスボウを使っていたそうです。
戦闘
イングランド軍の陣地
イングランド王エドワード3世は、フランス北部のクレシーにて陣地を構築し、防御態勢を築いて万全の状態でフランス軍を待ち構えました。
イングランド軍が布陣した場所の西にはクレシー村、その向こうには川が流れており、東には町があるため側面への迂回は難しく、さらに高台に居るためにフランス軍が誇る重騎兵には不利です。
さらにイングランド軍は騎兵部隊を3つに分け、下馬させました。これはそれぞれの騎兵部隊の両翼に配置されたロングボウ部隊を、騎兵から重装歩兵として転換して守るためです。
またフランス軍の重騎兵対策として、さらに落とし穴やカルトロップという撒菱のようなものを撒きました。
こうしてイングランド軍は万全の体制を整え、近くの村から略奪などを行い、英気を養ってフランス軍を待つことができたのでした。
フランス軍の到着
さて、クレシーに到着したフランス軍。
フランス王フィリップ6世は、兵士たちが疲れているし、集めていた歩兵たちがまだ到着していないし、物資を運ぶ輜重も足りないので翌日に戦闘をする気でした。
しかしフランスの諸侯たちは、このフィリップ6世の考えに大反対。その結果、到着してすぐにイングランド軍を攻撃することになりました。
(このパターン、カエサル対ポンペイウスのローマ内戦の決戦でもありましたね。ファルサルスの戦い)
ロングボウ部隊vsクロスボウ部隊
こうしてフランス軍は午後4時に進軍を開始。
しかしここで突然のゲリラ豪雨が両軍を襲います。
イングランド軍のロングボウ部隊は、弓から弦を外して雨露から弦が痛むのを保護できました。
でもフランス軍のクロスボウ部隊は、機械式なだけあって構造が複雑で、ロングボウのような対処法が取れず、クロスボウの弦が雨ざらしになって痛んでしまい、威力が弱まってしまいました。
こうしてロングボウ部隊とクロスボウ部隊の射撃戦が始まるわけですが、イングランド軍のロングボウ部隊は高地を取っているため、位置エネルギーによって弓の射程・威力が伸びます。
さらにクロスボウが1回射撃するのに、ロングボウは数倍射撃できるため、ロングボウで弾幕が張れます。
しかもジェノヴァ人傭兵はフランス軍に長々歩かされてきているのに対し、イングランド軍は今まで休んでいたので活力が違います。
それだけではなく、フランス軍は物資が来るのを待たずに攻撃を開始したため、ジェノバ人傭兵部隊はパヴィースと呼ばれる、矢から身を守れる大盾を持っていませんでした。
こんな状況で、フランス軍のジェノバ人傭兵部隊が勝てるわけがありません。ジェノバ人傭兵部隊は、すぐにフランス軍の陣の方に敗走しました。
しかし、これを見ていたフランス王フィリップ4世は激怒。
「何の理由も無しに、我々の道をふさぐ悪党どもを殺せ」と、逃げ帰ってくる傭兵部隊を斬りながら、フランス軍の主力部隊であるヨーロッパ最強の重騎兵が突撃を開始しました。
ロングボウ部隊vsフランス騎士
しかしこのフランス軍の重騎兵部隊も、丘の上からの絶え間ないイングランド軍ロングボウマンの射撃、雨によってぬかるんだ斜面、仕掛けられた罠の数々によってイングランド軍の歩兵戦列にまで到達することすらままなりませんでした。
しかもイングランド軍は、初期の大砲をこの戦いにいち早く導入してフランス軍に向けてブチかましたため、度肝を抜かれたフランス騎士たちは何度か突撃を失敗します。
こうして総計15~16回ほどにも渡って、フランス軍は丘の上のイングランド軍陣地に向かって突撃を繰り返しましたが、全て失敗に終わります。
何回か中央部に食い込んで、イングランド軍の戦列に到達したフランス軍重騎兵も居ましたが、左右から大量の矢の雨を降らされた上、少数だったためにすぐに待ち構えていたイングランド軍歩兵によって殲滅されました。
フランス王フィリップ6世自身も、乗っていた馬が2頭死に、顔にも矢を受けてしまったために撤退をしました。
損害
イングランド軍 100~300
フランス軍 騎士2500 その他歩兵多数
フランス軍は騎士道で逃げることは恥とされていたし、普通の戦いでは騎士は捕まって捕虜となっても、身代金を払えば戦死することは無かったために、退却を決定するまでに甚大な被害を出してしまいました。
その後
当時ヨーロッパ最強だった騎士たちで構成される重騎兵部隊を保有し、数でも勝っていたフランス軍が、たかがロングボウを持った農民に負けてしまったため(といってもロングボウの取り扱いにはかなりの訓練を必要とする)、ヨーロッパでの戦争の概念に激震が走ります。
このクレシーの戦いによって、今まで職業軍人として全身を防具で身を包み、馬にまたがって突撃していた騎士たちが戦争を主導していた時代から、歩兵の時代に移り変わって、騎士たちの地位が低下してしまいます。
クレシーの戦い以後はこの戦いを見習って、西ヨーロッパでは主力兵科としてロングボウの使用を模索し始めることになります。
ちなみにイングランドとフランスのフランス王位を巡る百年戦争は、このイングランド軍の歴史的大勝によっても決着がつかず、その名の通りズルズルと百年以上続くことになるのでした。