アレクサンドロス大王 part1

誕生

紀元前356年、マケドニアに一人の王子が誕生しました。

彼こそが後に大王となる、アレクサンドロス3世です。

 

伝承によると、父であるフィリッポス2世の祖先はヘラクレス、母であるオリュンピアスの祖先はアキレウスでした。

というわけでアレクサンドロスは、血統だけ見ても、ギリシア世界のサラブレッドなのです。(マケドニアをギリシア文明圏内に入れるかはともかく)

 

アレクサンドロスの母、王妃オリュンピアスは、フィリッポス2世との結婚の前夜、子宮を雷で撃たれた夢を見ました。

そのことから、彼女は息子アレクサンドロスのことを「ゼウス神の子」と言って、とても可愛がります。

 

この王妃オリュンピアス、かなりヤバい人で、ディオニュソスのカルト信仰にハマっており、ベッドで大蛇と共に寝ていたそうです。

オリュンピアス

 

対して、父であるフィリッポス2世は、おとなしいアレクサンドロスに、それほど将来性を感じていなかったそうです。

フィリッポス2世

 

しかしアレクサンドロスが11歳のころ、父フィリッポス2世はアレクサンドロスの評価を改めます。

 

才能の発露

紀元前344年、商人がとても良い馬を売りに来ました。

フィリッポス2世は興味を持ちましたが、その馬はとても気性が荒く、誰も手懐けることができなかったため、興味を失います。

 

しかし、ここでアレクサンドロスが父にこう言いました。

「私が上手く手懐ければ、あの馬を買っていただけますか?」

 

フィリッポス2世は「面白い」と思い、アレクサンドロスにやってみさせました。

するとアレクサンドロスは、その馬を見事手なずけることができたのです。

 

これにフィリッポス2世は興奮して立ち上がり、こう言いました。

「息子よ、マケドニアはお前には狭すぎる。お前に見合う王国を探すが良い!」

 

アレクサンドロスはこの馬を買ってもらい、ブーケファロスと名付けます。

これ以降このブーケファロスはアレクサンドロスの愛馬となり、戦場を共にしました。

 

万学の祖に学ぶ

さて、今までそれほど期待していなかったアレクサンドロスに才能を見出したフィリッポス2世は、アレクサンドロスに良い教育を施そうと考えます。

教師として、イソクラテスやスペウシッポスなどが候補に挙がりましたが、最終的に選ばれたのは著名な哲学者、アリストテレスでした。

「万学の祖」アリストテレス

 

フィリッポス2世はミエザに学園をつくり、そこに貴族子弟など共にアレクサンドロスを放り込んで、学問を学ばせました。

ここで共に学んだ学友たちは、後にアレクサンドロスの東方遠征を支える将軍となります。

 

ミエザで学問を3年間ほど修めた後、アレクサンドロスは16歳でマケドニアの摂政となり、父が遠征している間の国内の政治を行いました。

父フィリッポス2世が遠征で国に居ない間、トラキアが反乱を起こしたりしましたが、軽く鎮圧しています。

 

初陣

この頃、アテナイの弁論家デモステネスが、マケドニアの急激な拡大を脅威として煽り立てていました。

デモステネス

 

こうした動きもあって、アテナイとテーバイが反マケドニア同盟を結び、ギリシアでのマケドニアの覇権に挑んできました。

こうして起こったのが、紀元前338年に起こったカイロネイアの戦いです。アレクサンドロス大王の初陣として有名ですよね。

 

この戦いで、アレクサンドロスは鉄床戦術を使い、アテナイ・テーバイ連合軍を撃破します。

アレクサンドロスはこの鉄床戦術を得意とし、この後数々の戦闘で使用することとなります。

 

どういう戦術なのかと言うと、マケドニア兵はサリッサと呼ばれる、6mぐらいある超長い槍を装備しています。

サリッサ

 

その長槍兵で密集陣形を組みます。これがファランクスです。

ちなみにこのファランクスは正面に対する敵には最強ですが、方向転換が難しく、密集隊形のため亀のように足が遅く、側面や後方からの攻撃には弱かったりする弱点がありました。

 

アレクサンドロスの得意とする戦術は、このマケドニア式ファランクスで敵を引き付けさせておいてから、騎兵隊などで相手の陣形の綻びに突入して突破し、相手の陣の背後に回って挟み撃ちするやり方でした。

 

言ってるだけなら簡単そうに見えますが、常人が真似をするのは難しく、アレクサンドロスだから敵の陣形の綻びなどを見抜いてできたことです。

しかも、アレクサンドロスは命令を下すだけではなく、大抵、突入する騎兵隊の先頭に立って突入します。頭おかしい。

 

でも、指揮官が先頭に立つと、天才的な戦術眼によって敵陣の綻びを即座に見抜き、指揮官がそこに突撃した後をついて行けば良いだけですし、後ろであれこれ命令してるだけよりも統率はすごい取れますよね。

そして、なぜかそんな無茶をしていてもアレクサンドロスは主人公補正により死にませんでした。

騎兵突撃とか損耗率とてもヤバいのに、その先頭に立って幾多もの戦場を生き残るとか、まさしくゼウスの子ですよね。まあアレクサンドロスも無傷だったわけではなく、何回も瀕死になってたりするのですが。

 

アレクサンドロスが戦術の天才と呼ばれる所以は、この当時最強の鉄床戦術だけではなく、後に遊牧民や戦象相手には柔軟に戦術を変えたことから所以します。

つまり、最強の戦術をワンパターンでやってたわけでは無かったのです。

 

というわけで、アレクサンドロスは生涯無敗でした。(ごく稀に負けたのを歴史改ざんしたのではないかとも言われている、グラニコス川の戦いとか。でも勝つまで退かないので勝利とカウントして差し支えないでしょう)

 

こうしてカイロネイアの戦いで、アテナイ・テーバイ連合軍を破ったフィリッポス2世。

彼はコリントス同盟を組織し、盟主となってギリシアでの覇権を握ります。

 

ちなみにスパルタはコリントス同盟に不参加でしたが、フィリッポス2世は放っておきました。

皆さんご存知のように、スパルタはヤバいのもありますが、フィリッポス2世はさっさとギリシア世界をまとめて、ペルシアに挑みたかったのです。スパルタなんかと戦ってたら、いつまで経ってもペルシア遠征なんてできないですからね。

 

フィリッポス2世とエウリュディケの結婚

というわけでフィリッポス2世はコリントス同盟を組んで、「ギリシアみんなで、ペルシアをボコボコにしてやろうぜ!」と約束してマケドニアに帰国しました。

彼はマケドニアの首都ベラに帰国すると、マケドニア貴族アッタロス将軍の姪のエウリュディケと恋に落ち、結婚します。

 

アレクサンドロスの母オリュンピアスも王妃でしたが、一夫多妻制だったみたいですね。

 

フィリッポス2世とエウリュディケの結婚式にて、酒に酔った新王妃の叔父であるアッタロス将軍は、失言をしてしまいます。

「これでマケドニアにも正統な後継者ができますなあ。」

 

アレクサンドロスの母オリュンピアスは他所の王家の人間であり、マケドニア人ではありませんでした。

それにカルト教を信仰していたため、フィリッポス2世との仲も冷め切っていたようです。

だから新王妃であるエウリュディケがフィリッポス2世の子供を産めば、アレクサンドロスの王位も危ういな、みたいな感じの発言だったのです。

 

これに結婚式に出席していたアレクサンドロスはブチ切れます。

「貴様はこの私が妾の子供だとでもいうのか!」

 

するとアッタロス将軍の肩を持った父フィリッポス2世が、剣を抜いてアレクサンドロスの方に向かってきます。

しかしフィリッポス2世はアレクサンドロスの元に着く前に、転倒。

 

アレクサンドロスは、「皆の者、ヨーロッパからアジアへと攻め込もうとしている王が、椅子から椅子へと渡る間に転んだぞ!」と捨て台詞を残してその場から逃げました。

アレクサンドロスはそのまま母オリュンピアスと家出をしますが、食客のデラマトスが親子の仲を取り持ってくれたおかげで、アレクサンドロスは6か月の家出の末にようやく帰国することができました。

フィリッポス2世としても、カイロネイアの戦いでアレクサンドロスの軍事的才能を見ていたわけですから、殺すのは惜しいですよね。

 

フィリッポス2世の暗殺

こおうして親子仲直りしてこれからだ、という時にタンミング良く、フィリッポス2世が娘の結婚式に出席した際、護衛のパウサニアスに暗殺されてしまいました。

 

マケドニアの重臣であるアンティパトロスとパルメニオン将軍は、すぐにアレクサンドロス支持を表明。

これを受けてアレクサンドロスは、20歳でアレクサンドロス3世として即位しました。

 

そしてアレクサンドロスと母オリュンピアスは、アレクサンドロスの王位を脅かしそうな者を次々と処刑します。

従兄弟のアミュンタス4世を処刑し、王妃エウリュディケを自殺に追い込み、エウリュディケとフィリッポス2世の間に出来た幼い子供のカラノスとエウローパーを殺しました。

 

そして結婚式の時にアレクサンドロスを侮辱した、アッタロス将軍も殺しました。

 

こうしてマケドニアの王として全権を掌握したアレクサンドロス。

彼の征服王としてのキャリアは、ここから始まるのでした。

 

目次  Part2 →